人は死なない

2014年9月19日

『人は死なない』(矢作直樹著 バジリコ株式会社刊)という本を読んだ。このタイトル……素晴らしい。著者の矢作さんは東大附属病院の臨床医だ。そんな方が「人は死なない」なんてことを自らの著作の中で言いきってしまうのだ。しかもそれがベストセラーになっている。本当にすごい時代だなあ、と思う。なんだか嬉しく、頼もしいような気分だ。

 

矢作さんは、臨床医として見聞されたこと、ご自身のお母様が亡くなったあとの体験、それから専門書などをお読みになってご研究された知識などを総合して、

 

寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私はそのように考えています。(同著より)

 

とお書きになっている。

 

私もだいたい同じ考えを持っている。

 

「だいたい」と書いたのは、同著を読む限りでは、矢作さんは「個別の霊魂」が存在するとお考えのようだったから。AさんにはAさんの魂、BさんにはBさんの魂がそれぞれ存在していて、それが死後も存続するのだ、というお話。

 

 

 

私自身は、それはちょっと違うよなあ、と考えている。だって、「個別の霊魂」なんてものはそもそも存在しないから。

 

いや、「魂」的なものはぜったいに存在するけれど、というか本当は「それ」しかないけれど、それは決して個別のものとして認識されるようなものではない。Aさんの魂も、Bさんの魂も、Cさんの魂も、Dさんの魂も、Eさんの魂もなくて、ぜんぶがぜんぶ、おなじ「ひとつ」。「あなたもない、私もない、それゆえに、あなたは私で、私はあなた、ぜんぶがあなたで、ぜんぶが私」の世界である。分離という概念のない世界。たった「ひとつ」、というか「ふたつでない」「不二(ふに)」の世界。ない、ゆえに、ある、すべての源。

 

人は死んだらそこへ還る……というか、そここそが「自分」の本体だったということを思い出す。「還る」というと対象との距離を思わせるけれど、実際、「自分」と「そこ」の間には、一ミリたりとも隔たりは存在しない。私たちは、一度だって、「そこ」を離れたことはなかったのだ。「そこ」は、いま、この瞬間だって、間違いなく「ここ」にあるのだ。

 

人は、肉体を離れる瞬間に「そこ」の存在を思い出すのだと思う(肉体を離れることなく「そこ」を思い出すことも、本当はできるのですが……。「思い込み」が邪魔をするのですよね)。そこに至って、ようやく、「ああ、なんだ。自分は死なないんだ。というか、自分なんて、そもそも生まれてすらいなかったんだ。自分という個別の意識はまぼろしに過ぎなかったんだ。本当の自分は、ずっとずっと、“ここ”にあり続けていただけなんだ。これからもずっと“ここ”にあり続けるだけなんだ……」ということを、理屈じゃなく知ることになるのだ。その「知」はかつてないほどの安心感を生み出す。

 

臨死体験をした人のほとんどが、その後、自らの「死」を恐れなくなる、ということが矢作さんの本にも書いてあったが、それはそうだろうな、と思う。「人は死なない」ということを知った人が、どうして自分の死を恐れることがあるだろう。

 

 

 

人は死なないし、個別の霊魂なんてものもない。以上!

 

……と、まとめたいところですが、まあちょっと乱暴かな。

 

転生っていう現象はどう説明するんだ? 個別の記憶を持って生まれ変わりを果たした人たちの話はどうなる? そもそも「前世」ってなんなのさ!? といったような疑問も、当然、出てくると思います。これについては「こうじゃないかな~」と思うことがあるので、また今度まとめますね。今度……いや、明日……書けるかなあ……。