早寝早起きの理由

2014年9月22日

 夜考えることと、朝考えることとは、同じ人間でも、かなり違ってくるのではないか、ということを何年か前に気づいた。朝の考えは夜の考えとはなぜ同じではないのか。考えてみると、おもしろい問題である。

(中略)

 それに、どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さんざんてこずって、うまく行かなかった仕事があるとする。これはダメ。明日の朝にしよう、と思う。心のどこかで、「きょうできることをあすに延ばすな」ということわざが頭をかすめる。それをおさえて寝てしまう。

 朝になって、もう一度、挑んでみる。すると、どうだ。ゆうべはあんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうではないか。昨夜のことがまるで夢のようである。

 はじめのうちは、そういうことがあっても、偶然だと思っていた。夜の信者だったからであろう。やがて、これはおかしいと考えるようになった。偶然にしては同じことがあまりにも多すぎる。おそまきながら、朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違うことを思い知らされたというわけである。

 

(『思考の整理学』 外山滋比古著 ちくま文庫 より抜粋)

 

 

 

私は毎朝3時か4時には起きるので、必然的に夜の10時には床に就くことになる。この間も、早々と布団に入って、読んでいた本を置き、電気を消して、「いざ、入眠!」というタイミングで、一緒に住んでいる妹が、私の部屋にばたばたと入ってきた。薄目を開けて見てみると、なにやら思いつめたような表情をしている。

 

「……どうしたの?」問いかけると、彼女はなにかを言いかけたが、やがて、「相談事があったんだけど、姉(妹は私のことをそう呼ぶ。敬われている気がしない)の寝顔を見ていたら馬鹿らしくなってきた。私も寝ることにする……」とつぶやいて自室に引き上げていった。

 

次の日、少し早めに起き出してきた妹の顔は、随分と晴れやかだった。

 

「早く寝て早く起きると、物理的に夜の時間が短くなるんだね! 夜の時間が短くなるっていうのはつまり、余計なことを考える時間が短くなるっていうことなんだ! これはいいかも! すごい発見しちゃった~!」

 

昨夜の暗さとのあまりの対比に、私は思わず笑ってしまった。

 

「そうだよ。悩みがあるときに遅くまで起きていても、あんまりいいことないよ。朝の光の中で嫌なこと考えようと思っても考えられないしね。朝の脳みそは健全だよね。」

 

吹き出しつつそう伝えると、妹はたいそう納得した様子で深く頷いてくれた。

 

 

 

外山さんもお書きになっているが、本当に、夜の自分と、朝の自分とは、まったくの別人だなあ、と思う。肉体は同じでも、キャッチするものが違うというか。

 

ついこの間、「世界が電波で、人間は受信機」といったような記事を書いたが、あのたとえをそのまま使えば、朝はそもそも空中を飛び交っている電波の絶対数が少ない、ということが言えるのかもしれない。(「集合想念」と呼ばれるものと関係がありそうです。)それと、受信機としての自分の精度が上がっているのとがばっちりと組み合わさって、朝の世界では、すべてがくっきりはっきり明るく見えるのだと思う。受信機の精度は、単純に、脳みその疲れ具合と関係しているのだろう。寝て起きて、疲れがリセットされて、まっさらな状態の脳みそは、自分のキャッチしたい世界(情報)にチューニングを合わせやすくなっている。

 

逆に夜は、チューニングを合わせる気力もないまま、世界に対して脳みそが半分開いたような状態で無防備になっているがために、いろんな世界を垣間見てしまうことになるのだろう。良くも悪くも。

 

 

 

少し話はそれるが、チューニングの精度に関連して最近思うのが、お肉をたくさん食べたり、お酒を大量に飲んだりすることは、自分の脳みそを「夜」の状態に置くことなんじゃないかな、ということで。それらをむやみに身体に取り入れると、「受信機」たる脳みそが、まさに「良くも悪くも」無防備になる感じがするのだ。(あくまで、私の場合は、ですが……。)その隙をついて、いろ~んなことが自分の中に、ひゅんひゅんと雑音混じりで入ってくる。

 

「表現者たるもの、宵っ張りの大酒のみであるべし。悪食であればなお良し。不健康万歳!」みたいな言説は昔からあって。それってきっと、そうやって無防備な状態に仕立て上げた脳みそでキャッチした「いろ~んなこと」の中に、芸術のタネみたいなものが少なからず隠されているからで。まさに命がけの作業なのだと思う。本人たちが、それを意識してやっているにしろ、無意識であるにしろ。彼らがギリギリの状態で必死で掴んで磨き上げて世に放った表現たちは、無数の人々の心をゆさぶり、解放へと導くだろう。尊いなあ、有難い人たちだなあ、と本気で思う。彼らの生き方に、涙が出てくる。

 

 

 

でも、私はもう、そんなことはしないかなあ。どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、単なる方法論の違いで。「逃げ」とかじゃなくて。そうとられても仕方ないけど。

 

私は単純に、あまり体力がある方ではないし、あと、書き表したいことの幅がそもそも狭くて、自分の中でかなり明確。(いや、「宇宙が~」「仏が~」「愛が~」とかぼんやりとしたようなことを繰り返し言っている私の表現のどこが……と言われたらアレなんですが。でも、実は私が言いたいことはひとつだけ、まあざっくり言ってしまえば「本当はぜんぶ“大丈夫”なんですよ~」っていうことだけで。「ひとつだけ」という意味で、「狭い」のです。)というか、キャッチしたいものの性質、というか属性が「朝」というものの持つそれにより近いのだ。光、に興味があるのだ。というか、光以外に興味がないのだ。この場合の光は、闇との対比としての光ではなく、もっと根源的な……って野暮ですね、やめます。

 

まあ、役割分担ということになるのかなあ……。

 

 

 

結局、自分がなにをキャッチしたいのか、なにを表現したいのか、ひいては、どう生きていきたいのか、ということに尽きるのだと思う。そこから逆算して、自分の行動を選び取っていくことは、肉体を与えられた人間の義務みたいなものなんじゃないかな。……なんて、少し堅すぎるかな。すみません。

 

 

 

 

 

6時現在の東京の空は全体的に薄く雲がかかっています。それでも朝は朝。空気が綺麗です。

 

深呼吸して、にっこり笑って、一日を過ごしていきましょう。