生まれ変わりの儀式

2014年9月24日

今日は新月なので、めちゃめちゃ簡単、だけど効果絶大な「生まれ変わり」の方法をお伝えします。ってのっけからあやしげですが……でも、これ、いい方法ですよ……。なにに「いい」のかは後述。

 

 

 

 

 

と、その前に。

 

以前も書きましたが、たとえば誰かに対してめちゃめちゃ怒っているとき、「なんだよ、あいつ! 信じられない! むっかつく~~~!」とか言って枕を両手で交互にぽこぽこ殴っているようなとき、ふと、「怒っている自分」「枕に当り散らしている自分」を客観視していることってありませんか?

 

あと、たとえば失恋したとき。部屋で膝を抱えてうずくまってただただ号泣している自分を、ふとした瞬間に、どこか高いところから見下ろすような感覚に陥ったことはありませんか? 「私、いま、失恋っていう状況に完全に酔ってるよなあ……」とか、やけに冷静に自分を見ていることって、ないですか?

 

あと、たいして面白くもないのに、周囲に合わせて笑っているとき。上司におべっか使っているとき。電車に乗り遅れて舌打ちをするとき。それらをやっている自分とその状況全体を、超冷静に眺めているような「自分」がいたりしませんか?

 

いや、本当のことを言えば、いま、この瞬間も。その「自分」はいます。

 

あなたはいま何をしていますか? PCに向かって、あるいはスマホや携帯電話で、このブログを読んでくださっていますよね?

 

じゃあ、その「小出遥子のブログを読んでいる自分」を認識している「自分」は、一体誰なのでしょう?

 

 

 

……正解を言います。

 

その「自分」こそが、あなたの本体です。

 

 

 

 

 

「本体としての自分」は、いつだって、肉体を持ってこの世を生きている自分のことを見守っています。手助けもせず、干渉もせず、ただただ見守り続けています。

 

 

 

そして、その「本体としての自分」は、ひとりにつき一体ずつついているわけではなく……。たとえば、私、小出遥子の「本体」は、いま隣の部屋でぐーすかいびきをかいて寝ている妹の「本体」と同一人物です。そして、これを読んでくださっている「あなた」の「本体」とも同一人物です。いや、正確に言えば「人物」ではないのですが、とにかく、この世界の全存在の「本体」は、ただ「ひとり」……というか、「ひとつ」です。

 

 

 

ただ「ひとり」、たった「ひとつ」の「本体」以外は、つまり、ぜんぶが「かりそめ」ということです。いわばスクリーン上に映し出される、実体のない映像のようなものです。私が自分の人生だと思っているものは、「小出遥子の人生」というタイトルをつけられた映画に過ぎません。

 

映画の中で、主人公である私・小出遥子は、完全に「役」と同化して、泣いたり笑ったり怒ったりして日々を過ごしています。しかし、実は、その役を演じている私はかりそめに過ぎず、その「本体」はいつだってスクリーンの外にいて、そこに映し出される「ストーリー」を、いつだってやさしく見守っているのです。

 

 

 

でも、私たちはふだん、あまりにも「役」の中に埋没しすぎていて、それがすべてかりそめの物語であることを、すっかり忘れてしまっています。「本体」を楽しませるための物語だったのに、その「本体」である自分の存在すら忘れて、ひたすらに目の前のことに一喜一憂を繰り返して、「人生」を生きているような気になっているわけです。

 

ぜんぶ、ぜんぶ、「物語」に過ぎないのに。

 

 

 

 

 

で。「生まれ変わり」ですね。

 

この「本体としての自分」は、いつだって自分が自分だと思っている存在と一緒にいるのですが、あまりにも当たり前に「ここ」にいるので、私たちはそれを認識することができなくなってしまっています。いや、先述したように、日常の中で一瞬だけ、「本体としての自分」の目線に戻ることはあるのですが、それはあくまで一瞬。「本体」の視点にとどまることはできません。

 

でも、その「客観視」の状態を、ある程度人為的に作り出すことはできて。

 

その方法っていうのが、「自分の死に顔を超リアルに思い浮かべること」なんですね。

 

 

 

「小出遥子の人生」という映画を観ている「本体」を意識したいのなら、その映画の上映自体を一度とめてしまえばいいわけですよね? でも、実際にこの人生の上でそれをやるとなると「んじゃ、一回死んできま~す!」っていうことになってしまうわけですから、それはまずい。

 

で、あくまで「想像上」で、自分という存在に死んでもらうわけです。

 

やり方は超簡単。

 

 

 

1、まずはゆったりと椅子に腰かけます。椅子じゃなくても、ベッドの上でも、あと床に正座するとかあぐらをかくとかでもいいです。自分が一番リラックスできる姿勢をとってください。

 

2、目を閉じて、深呼吸を繰り返します。「吸う」より「吐く」にコミットすると、気分がどんどんと落ち着いてきます。

 

3、ある程度リラックスできたら、いざ、自分の死に顔を想像し始めます。表情、顔色、肌の質感、その冷たさ……ものすごくリアルに。手に触れてしまえるぐらいに、超リアルに思い浮かべてください。

 

4、棺に横たわっている自分を、お葬式の弔問客として覗き込みます。

 

5、故人としての自分の生涯を、弔問客の立場から想像します。「あのときこの人はこんなことを言ってくれた」「たまには相談にも乗ってくれた」「ばかなことばっかりやっていたけど、本人はいたって真面目に生きてきたんだよな」「そう考えると、愛おしいやつだったな」……云々。

 

6、弔問客として、故人となった自分に、両手をしっかりと合わせます。

 

7、ゆっくりと意識を「現実」に引き戻していきます。

 

8、ご自身のタイミングで、ゆっくりとまぶたを持ち上げてください。

 

 

 

……どうでしたか? 他人の立場から見た自分、結構「いいヤツ」だったりしませんでしたか? なんか、涙が出てきたりしませんでしたか? いままでの自分のことを、ゆるしてあげようと思ったりしませんでしたか?

 

そう思えたら、あなたはもう、生まれ変わっています。

 

人間は、「本体」の視点に立ってはじめて、「なんだ、自分の人生って、物語にすぎなかったのか」ということを知ることになります。肉体がある限り、「物語」は続きます。でも、「気づき」がもたらされたのちは、どんな物語を作っていくのかを、自分自身で選択できます。「どうせならとびきりハッピーな物語にしてやろう」とか、「いや、今生では思いっきり悲劇のヒロインを味わってやるんだ」とか。どれを選択しても良いのです。

 

その選択をもって、「生まれ変わり」と呼びます。

 

 

 

いや、正確に言えば、この「死に顔思い浮かべワーク」で体験できるのは、あくまで「他人」の視点なのであって、「本体」の視点とは少し違うのですが、でも、かなりそれに近いところまでいける方法だと思います。

 

うまくすれば、自分も他人も飛び越えて、すべてを淡々と見つめる「本体」の視点まで行けることもあります。その場合は、「6」の状況を、さらに上から眺める感じになります。そのうちぜんぶがフェイドアウトしていって……みたいな感じ。まあ、やってみてください。(乱暴な説明! でもそうとしか言いようがない! あ、ぜんぜん、危険ではないですよ。自分の意志ひとつで、ちゃんと戻ってこられますのでご安心を。)

 

 

 

 

 

私も生まれ変わろうと思います。

 

みなさま、どうか良い新月デーをお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

 

あ、ちなみに今日の記事を一般向けに書くと↓このように↓なります。

 

「終活」におすすめ、自分の死に顔とのご対面セレモニー

 

あやしさ8割引きとなっております。笑 以前ハフィントンポストさんに掲載していただいた記事です。もしよろしければご高覧ください。