笑えばいいと思うよ。

2014年9月25日

仏像や仏画を観ていて心が落ち着くのは、仏さまが、いつだって、「いま」にいる人(というべきか……)の表情をしているからなのだと思います。

 

 

 

如来像はたいてい無表情。「禅定」という言葉でも表されますが、瞑想中の人の顔ですね。これは言うまでもなく「いま」の表出ですね。瞑想=「いま」にいること、ですから。

 

菩薩像はたいてい笑顔。目元口元にやわらかな笑みを浮かべていることが多いです。ちょっとやってみて欲しいのですが、あなたは笑いながら過去や未来のことを深刻に考えられますか? ……できないでしょう。笑っているときは全身の力がゆるんでいます。力みは「時間」という幻想を生み出しますが、そこから逃れる方法として「笑う」というのはかなり有効です。笑っている人は、いつだって「いま」にいます。

 

明王像はたいてい憤怒相を示しています。怒っている人の顔ですね。これは少し分かりにくいかもしれませんが……。明王さまたちは、自分の役割として、怒った顔をしているわけですよね? 穏やかな表情ばかりでは、迷える衆生を救えないこともある。時には怒りを全身に表して、その勢いを持って全力で進むべき方向を指し示してあげないといけない……。そういうことで、明王さまたちは恐ろしい顔をしているわけです。それが必要とされているから、それが自分の果たすべき役割だから、いわば「自覚的に」怒っているわけですね。彼らの頭には、目の前の衆生を、いま、この場で、いかに導くか、それだけしかありません。「覚悟」と「自覚」の上に成り立つ行動は、必然的に「いま」の中にあるのです。

 

 

 

「いま」には、いかなる悩みも苦しみも存在できません。そこには「いま」があるだけです。その「いま」は、たとえようもないほどの安心感に満ちています。仏さまは、そんな世界を生きています。

 

 

 

「えーん、苦しいよう、私も悩みのない世界に行きたいよう! 仏さまの境地に達したいよう!」という人は、

 

「瞑想をすること」

 

「笑うこと」

 

「覚悟と自覚を持って、自分の役割を果たすこと」

 

この3つのうち、いずれかの方法を試すと良いですよ、と、仏さまは、その姿をもって、私たちに教えてくださっているのだと思います。

 

 

 

どれを選んでもいいし、ぜんぶをやってもいいけれど、一番簡単なのは「笑うこと」ですよね。だってこの場で、一瞬でできますから。

 

口角を少し上げるだけでいいんです。一秒もかからずにできます。できたら、目元の筋肉も少しだけゆるめてみてください。そして、さらにできたら、声を出して笑ってみてください。面白いことがなくても、無理やり笑ってみてください。

 

……少しだけ、視界が明るくなったような気がしませんか? 少しだけ、呼吸が深くなったような気がしませんか? 少しだけ、肩の力が抜けたような気がしませんか?

 

たぶん、それは「気のせい」ではないです。

 

 

 

「笑い」には、深刻さを払う力があります。だいたい、人生に「深刻さ」なんて必要でしょうか。深刻な顔をして下ばかり見ていても、悩みなんて解決しません。むしろ、肩の力を抜いて、「どうにかなるでしょ~」と笑っているときの方が、物事はすんなり運ばれていくことが多いです。

 

 

 

オススメなのは、手帳に、微笑みを浮かべた仏さまの姿の写真を貼りつけておいて、深刻さが顔を出しそうなときには、それを見て、面白いことがなくても、とりあえずにっこりしてみること。(ちなみに私は広隆寺の弥勒菩薩の写真を持ち歩いています……。あ、別に仏像じゃなくてもいいですね。友達や、恋人や、家族や、好きな芸能人の笑った顔の写真でもいいと思います。あと、携帯やPCの待受画面にそれらを設定するのもいいですね。ちょっと恥ずかしいですけどね。)

 

面白いことが起きないと笑っちゃだめなんて誰にも決められていません。どんな時だって笑っていていいんです。(さすがにお葬式とか真面目な会議とかでゲラゲラ笑っているのはまずいと思いますが……。)

 

笑って、力を抜いて、自分を「いま」に戻してあげること。それが無用な苦しみから自分を救い出す、一番簡単な方法のような気がするのです。

 

そんなことを、仏さまの姿に教えてもらいました。

 

 

 

 

 

東京は雨降りの朝です。

 

今日も、できるだけ笑って、力を抜いて生きていきましょう。

 

楽しい方を選んで生きていきましょう!