仏の家に投げ入れて

2017年2月3日

おはようございます。小出遥子です。

拙著『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』
出版記念インタビューの中に、こんな一節があります。
ちょっと長いけど引用しますね。

――「さとり」を言葉で追い詰めていこうとして、言葉にしないことにくつろぐ境地に至って、でもまた「Temple」で「いのち」について語り合う、つまりは言葉にしようとする。小出さんの往還をとても興味深く思います。しかし、言葉で捉えるようとする限り、囚われることもまた起きるのではないでしょうか。

そうですね。「個人」が「個人の言葉」を使って「個人のストーリー」を語ると、当然、そうなってしまうと思うんですよ。私の場合で言えば、「小出遥子」が「小出遥子の言葉」を使って「小出遥子のストーリー」を語ると、やっぱり、言葉に囚われるというようなことが起きてくる。でも、なにものでもないものとして語れば、言葉に囚われる誰かもあらわれようがないんですよね。そこを「Temple」ではやっていきたいんです。ただただ、本来自分はなにものでもないものだし、なにものでもない「いのち」そのものだったということを思い出していく場として、「Temple」を位置づけたいというか。

だから、「Temple」は対話をメインにしたイベントですけれど、あえて参加者同士の自己紹介の時間は設けません。お寺の本堂って、仏さまのお家ですよね。人間誰しも、仏さまの前では平等です。本堂に一歩足を踏み入れたら、娑婆での役割も肩書きも全部脱ぎ捨ててもらって、なにものでもないもの同士、「いのち」を真ん中に置いて、ご縁にしたがっておのずから起きてくる対話を、結論も、納得感も求めず、ただただくつろいでたのしんでもらえるような場づくりをしていこうと思っています。だから「Temple」というのは、「いのち」のなんたるかを探っていく場ではなくて、ただただ「いのち」のあらわれ、その戯れをたのしむ場、と言えるかもしれないですね。

――ちょっと坐禅に似ているのかな? 今、この瞬間に起きてくることを、娑婆から少し距離を置いて、ひとりで、共に、いのちのいとなみだけを見つめる時間を持ちましょう、ダイアローグでやりましょうという感じでしょうか。

そっか、そうですね!まさしく、坐禅のようなものなのかもしれない。娑婆での役割を全部脱ぎ捨てたうえで、そこで、もうただ、起きては消えていく「それ」を見つめていく行というか、いとなみですよね。結果を求めず、ただただ「今ここ」にくつろいで、「いのち」とともにあるというシンプルないとなみ。それ自体を「Temple」と呼んでもいいのかもしれない。

Templeは坐禅に似ている、というご指摘は、ほんとうに目からウロコで、
(さすが杉本恭子さんです!)
このインタビュー以降、私も折に触れて
「Templeって、坐禅みたいなものなんですよ」と説明させてもらっています。

そうそう。
坐禅と言えば、道元禅師の『正法眼蔵』の「生死の巻」に、
以下のような記述があります。

ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。

さっきのインタビューの中で、私、
「お寺の本堂って、仏さまのお家ですよね」と語っていますが、
道元禅師も、「(坐禅とは)からだもこころも放ち忘れて、
仏の家に投げ入れ」る行為であると語っています。

私が言っているのは、実際のお寺の本堂のことで、
道元禅師が言っているのはメタファーとしての「家」のことですが、
そこにおいて「生死をはなれ、仏となる」といったようなことが
起こってくる、という意味では、まったくいっしょですよね。

「生死をはなれ、仏となる」というのは、
「生死そのものとしての“いのち”にくつろぐ」ということにほかなりませんから。

Templeというのは、
ほんとうは、すべて、仏(いのち)のはたらきの中にある、ということに、
「対話」という営みを通して、おのずから気づいていく場です。

「対話」って、当たり前だけど、自分ひとりではできないんです。
自分ひとりではできない、ということは、
かならずしも、自分の思い通りには進まない、ということです。

「あれ、なんでこんな話になったんだっけ?」とか、
「俺、いま、ぜんぜん話すつもりじゃなかったこと話してるよな……」とか、
そういったことが、「対話」の中では、ごくごくふつうに起こってきます。

じゃあ、いったい誰が、あるいはなにが、その「対話」を起こしているのか?
その「対話」の背後にあるのは、いったいどんな「力」なのか?

そこに思いをいたしたときに、ふと、
「仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆく」という感覚が、
理屈を超えて腑に落ちる、ということが起こってくるのかもしれない……。

その可能性を信じて、私はTempleを主宰(主催)しています。

「仏の家」で、ただただ「いのちの対話」をたのしむイベント、Temple。
定期的に開催しておりますので、
ご興味があれば、ぜひ、お気軽に遊びにいらしてくださいね。

次回は2月12日(日)鎌倉の円覚寺さんで行います。
まだ若干お席ございます。
できるだけお早目にお申し込みくださいませ。

http://temple-web.net/event/33/

 

よい一日をお過ごしください◎