「正しい仏道」とは

2017年2月5日

おはようございます。小出遥子です。

仏教に向かう人たちには、
大きくわけて2つのタイプがあるんじゃないかな、と思います。

1つめは、「苦」からの脱却を求めて仏教に興味を持ったタイプ。
2つめは、「真実」の探究の道として仏教に興味を持ったタイプ。

もちろん、こんなきっちりと2つにはわけられなくて、
多くの人はその混合型だとは思うのですが、
それでも、「苦からの脱却」と「真実の探究」、
そのどちらにより強い関心があるのかによって、
道の歩み方にも、やっぱり、違いが出てくるんじゃないかな、と。

いや、道の歩み方自体は一緒なのかもしれませんが、
その描写の仕方に違いがあらわれるんですね。

たとえば、私自身は、どちらかと言えば、前者寄りの人間です。
「苦しまずに生きていきたい」という気持ちから、
仏教に興味を持ち、仏道実践を始めました。

その途中で
「絶対的な真実を知らないことには“苦”からも逃れられない!」と考えて、
「真実はどこにあるのだ~」「真実はいねが~」と
ほとんど血眼になってそれを探し回っていたような時代も長く続きました。

でも、あるとき思ったんです。
「真実を探し回ることによって、私、余計に苦しくなってない?」って。
「苦しまずに生きていきたい、という気持ちから探求の道に入ったのに、
これじゃ本末転倒じゃないの?」って。

そこからすぐに路線を変更して……というわけにはいかないのですが(笑)、
いろいろな紆余曲折を経て、いま、私はこんな風に思っています。

「真実なんて、人の数だけある。
つまり、絶対的な真実なんて、この世のどこにもない。
でも、だからこそ、すべてがゆるされて“ここ”にある」

この地点に、ふわっと着地できたとき、
真実を探求し続けていたときには感じ得なかった、
圧倒的な「安心」に包まれた気がしたのです。
「苦」からの脱却とは、なるほど、こういうことだったのか、と。

もちろん、これは私自身の「物語」に過ぎず、
すべての人に同じ道を歩んで欲しいとはまったく思いません。

「苦」よりも「真実」、「宇宙の謎」の解明の方に
コミットしている方々はたくさんいらっしゃるでしょうし、
そういう方々が歩まれる道は、
私が歩む道とはまったく違うものになるのは当然です。
そして、私は、そちらの道を歩む方々を尊敬しています。

たったひとつの正しい道なんてどこにもないし、
もし「正しい道」があるとしたら、
それぞれの足元に、瞬間ごとに立ちあらわれるもの、
としか言えません。

仏道に入るきっかけが「苦からの脱却」を求めてのことであろうが、
「真実の探求」であろうが、
いまここにおいて、とにかく、真に“いのち”を生きようとしている。
その一点さえ共通していれば、「仲間」として
互いを尊重し合えるはずだと私は思うのです。

そして、そこにこそ「仏教者」の名に恥じない
人間の姿が見えてくるのではないかな、と。

……なんかまとまらなくなってきたので今日はここまで!(笑)
すみません。もうちょっと考えをまとめて、また書いてみますね。

 

よい一日をお過ごしください◎