ありがとう。ごめんなさい。

2017年2月9日

おはようございます。小出遥子です。

おなかの底から、理屈を超えて湧き上がってくる「ありがとう」は、
実はいつだって「ごめんなさい」とひとつになっているんじゃないかな、と思います。

仏教にもキリスト教にも「懺悔」ということばがあります。
仏教では「さんげ」、キリスト教では「ざんげ」。
読み方は違っても、

過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと。
(広辞苑第六版より)

という意味においては共通しているようです。

この「懺悔」というものが宗教上どういう意味を持つのか、
私は、長年、あまりよく理解できていませんでした。
辛気臭くて嫌な儀式だなあ、とさえ……。

でも、そこには意味を超えた意味があったんですね。

だって、ほんとうの「ありがとう」は、
「ゆるされてある」という実感とともにあるから。

どうあっても、自分は、いつだって、圧倒的にゆるされている。
だからこそ、いまここに、こうして存在できている。

大きな気づきの中で、
その人智を超えた「ゆるし」に触れたとき、
感謝と懺悔がないまぜになって、
ただただ純粋に「ありがとう」、そして「ごめんなさい」。
ほんとうに、ただ、それだけしかなくなってしまう……。
それが、人間というものだと思うのです。

ありがとう。ごめんなさい。
ありがとう。ごめんなさい。
ありがとう。ごめんなさい。
ありがとう。

もう、ほんとうに、それだけだなあ。

 

東京は冷たい雨が降っています。
みなさんのところはいかがですか?

よい一日をお過ごしください◎