ありがとう。ごめんなさい。part.2

2017年2月10日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のブログ

どうあっても、自分は、いつだって、圧倒的にゆるされている。
だからこそ、いまここに、こうして存在できている。

大きな気づきの中で、
その人智を超えた「ゆるし」に触れたとき、
感謝と懺悔がないまぜになって、
ただただ純粋に「ありがとう」、そして「ごめんなさい」。
ほんとうに、ただ、それだけしかなくなってしまう……。
それが、人間というものだと思うのです。

と書きましたが、今日はその補足です。

その、“圧倒的にゆるされている「自分」”というのは、
いったいなにから構成されているのでしょう?

そこを考えてみたいのです。

「自分」って、いったいなんなのでしょうね?
「自分」って、いったいなにからできているのでしょう?

思考? 感情? 身体の感覚? 記憶?
そのぜんぶの寄せ集めが「自分」???

それが「正解」かどうかは、今日のところは問題にはせず……。

とにかく、思考だろうが感情だろうが、
そういったものが間違いなく「ここ」にあって、
それによって「自分」というものが構成されているという
ひとつのアイディアが湧き上がっているということは事実ですよね。

うん。

さて、ここでひとつ問いかけです。

その「自分」を構成している思考や感情や感覚や記憶は、
いったい誰が、あるいはなにが、湧き上がらせているのでしょう?

「自分」……じゃないですよね。
だって「自分」はそれらの結果でしかないわけですから。

それならば、いったい誰が、あるいはなにが、
「自分」というアイディアを作り上げているのでしょうか?

……というところにまで思いが至ると、

ああ、やっぱり、すべてはゆるされてあるのだな、と。

それが、誰であれ、なんであれ、
とにもかくにも、大きな「ゆるし」がここにはあって、
「自分」というものすら、その中でふわっと湧き上がっては消えていく
はかない一瞬のまぼろしに過ぎないのだな、と。

だからこそ、絶対的に安心していて良いのだな、と。

そんな気づきがやってきたりするので……。

やっぱり、
「ありがとう」「ごめんなさい」しか言えなくなってしまうのです。

 

よい一日をお過ごしください◎