『歎異抄』のこと

2017年2月17日

おはようございます。小出遥子です。

私は、『歎異抄』という書物が好きです。
原文も、現代語訳されたものも、繰り返し読んでいます。

『歎異抄』というのは、鎌倉時代後期、
浄土真宗の祖・親鸞さんが亡くなったあと
「これこそが正しい教えである!」とか、
「お前の念仏は間違っている!」とかいう風に、
教えを巡って争いが起こるという事態がそこここで頻発したので、
親鸞さんの弟子の唯円さんという人がそれを嘆いて、
「実際、お師匠さんはこんな風に言っていましたよ~」というのを、
ひとつひとつ、丁寧につづり、解説を加えることで成立した書物です。

いつの時代でも、こういった出来事は起こってしまうものなのですね……。
「安心」の中で生きていく道が仏道なのに、「正しさ」に固執すると、
当初の願いを忘れて、本末転倒な事態を招いてしまう……。

悲しいことです……。

と、嘆いてしまう気持ちはありますが、しかし、
そういった背景から生まれた『歎異抄』は、事実、名著です。
読み返すたびに、まったくあたらしい発見があって、
そのたびに新鮮な感動を覚えます。
ここには、なにか、普遍的な価値があるように感じるのです。

そう考えると、「これこそが正しい教えである!」とか、
「お前の念仏は間違っている!」とかの「本末転倒な事態」だって、
めぐりめぐって、きちんと、本質的な智慧へと人々を導く機縁となっていくわけで……。

ほんとうのところ、「正しさ」なんて、
ひとりの人間に判断できるものではないのですね。

ほんとうは、すべて、広大なご縁の網目の中で、
完全、完璧に立ちあらわれているのかもしれません。

なにも心配することなんかないのかも……。

そうなってくると、やっぱり、

南無阿弥陀仏

が口をついて出てくるというか、
最終的には、もう、それしかなくなってしまう……。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

合掌

 

よい一日をお過ごしください◎