正しい諦めのすすめ

2017年2月18日

おはようございます。小出遥子です。

昔、友人にこんなことを言われたことがあります。

「あなたは、人を丸裸にしてしまうね」

もちろん、物理的な「脱がせ屋」ということではなく(笑)、
「誰にも言わないつもりだったことを、
いつの間にか、するっと話してしまった……」といったようなことが、
どういうわけか、私と一緒にいると起こりやすいのだそうです。

これに類するようなコメントは、私、
実は、結構いろんなところでいただいてきました。

ある友人はこんな風に言いました。

「あなたにはタブーがない。だからなんでも話せてしまう」

うーん。そうだなあ……。
確かに、私は、基本的に、人の話を「否定」のスタンスで聞くことがないです。

もちろん、私だって人間なので、個人的な好き嫌いはあります。
でも、もし、「ちょっと嫌だなあ……」と思うような話を聞いたとしても、
それを当事者として経験しているその人自体を否定することはない。
肯定もしないけれど、否定もしない。
ただただニュートラルに、
「そうだよね。そういうことって、きっと、あるよね」と受けとめている。

これは、たぶん、私自身が、

「人間、縁によって、ほんとうに、どんなことだってしてしまうんだ」

というのを、理屈じゃなく、肚の底から
「事実」として知っているからだと思うのです。

私自身、ほんとうに、いろんなことをしてきたから。
ほんとうに、ろくでもないこと、いっぱいしてきたんです。

でも、言い訳に聞こえるかもしれないけれど、
その「ろくでもないこと」だって、
「しよう」と思ってしたわけではないんですよ。

あれよあれよと事が進んで、気がついたときには
「ろくでもないこと」になっていて、本人がいちばん呆然自失で、
「なんでこんなことに……」と力なくつぶやくしかない……。
そんな事態が、人生には、まま、起こってしまうみたいなんです。

そこは、もう、本人の意志を超えているんです。

もちろん、反省は必要です。
同じ失敗を何度も繰り返したくはありませんから。

でも、最終的には、「起こってしまったこと」に関しては、
とにかく、受けとめるしかないんですよね。

そのときには、「自分」がどう、という話じゃなくて、
ただ、事実を、事実として、そのままの大きさで受けとめることが大切です。
「それは、どうしようもなく起こってしまった」って。

ほんとうに、この世は「どうしようもない」ことばかりでできているし、
「どうしようもない」ことに翻弄され続けるのが人生というものなのかもしれない。

なぜなら、私たち、ひとりで生きているわけじゃないから。
どうしようもなく、ご縁の網目の中に生かされているのだから。

そのことがストンと腑に落ちると、
根本のところで、誰かやなにかを否定することがなくなってくる。
もちろん、自分自身を否定することもなくなってくる。

そこに「苦」からの脱却への道があります。

「諦め」というのは、元々は「明らかに見る」という意味だったそうです。
まったく、ネガティブな意味ではなかったのですね。

世界の成り立ちを明らかに見たときに、
「どうしようもない」自分も、他人も、出来事も、
すべて受けとめ、受けいれられるようになっていく。
肯定はしなくても、否定することもない世界を、
ただただ、愚直に生きられるようになっていく。

正しい諦めは、人生を豊かにしてくれます。
諦めて、諦めて、諦めて……ただ、生きていきましょう。

 

よい一日をお過ごしください◎