「予言」のお話

2017年2月19日

おはようございます。小出遥子です。

先日、めずらしく髪をきちんと巻いてふわふわにした状態で
長い付き合いの友人と会ったのですが、そのときの私たちの会話がこちら。

友人:「遥子さ、5~6年前に、未来の自分の姿が見えたとか言ってなかった?」

私:「は?」

友人:「いや、言ってたんだよ。33歳頃の自分の姿が突然見えた、とか。」

私:「そ、そうだっけ……?(全然記憶にない……。)私、なんかヤバい人じゃん……。
ちなみに、具体的にはどんなことを言ってたの?」

友人:「髪が茶色で、ふわふわに巻かれている。好きなことを仕事にしている。
マイクを持って人前に出てしゃべっている。なんだかしあわせそうな顔で笑っている。
……って言ってたよ。実際、その通りになっているよね。」

私:「た、確かにその通りになっているね……。
なんなんだ、その数年前の私の予言!!! こわ~~~~~!!!!!」

……いやー、朝っぱらからオカルト臭くてすみません……。
でも、なんか、単純に、不思議なお話だなあ、と、他人事のように面白がっています。

この世は不思議で満ちている……。

うーん……。

うーん……?

でも、どうなのかな?

「数年前の私」が「数年後(つまり現在)の私」の姿を「予言」したのだと見れば、
たしかにこれは「ものすごく不思議なお話」ということになるのですが、

(だって、当時の私は「ザ・地味!」な図書館職員で、茶色の巻き髪はおろか、
「マイクを持って人前でしゃべる」なんてもってのほか! と思っていたのだから……。)

「現在の私」が、「数年前の私」の発言の内容にビックリしているという「物語」が
「いま」「ここ」において展開しているだけ……と考えれば、
実はなにも不思議なことなどなくなってしまうような……?

つまり、「数年前の私の発言」なんて、実際はどこにもなくて、
ただただ「いま」「ここ」において、それが「不思議な物語」として生成されて、
うつくしく立ちあらわれただけ……ということです。

時間なんてないのだ! どこにもないのだ!

って、あはは。夢がないかな。

まあ、どちらが「正解」でもいいです。
「正解」なんて、あってもなくてもいい。
ただただ、「いま」「ここ」において、
なんらかの感動を味わっていければそれでいい。
そうやって生きていければそれでいい。

なげやりじゃなく、しみじみと、そんな風に思っています。

 

よい一日をお過ごしください◎