死こそ常態 生はいとしき蜃気楼

2017年2月21日

おはようございます。小出遥子です。

今日は、私の大好きな一編の詩をご紹介します。

「さくら」 茨城のり子

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらを見るのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

桜が咲くのはまだまだ先ではありますが、
景色のそこここに春のおとずれを見つけるこの時節、
スタバでは「さくらラテ」なるドリンクが販売され始めて、
まあ、別に特別「おいしい! 感激!」というほどの味もしないのですが、
なんとなく、毎年、何回か買って飲んでしまうのです。
先日も、今年「初・さくらラテ」を飲みました。
例年通り、「うーん、別にふつう……」な味がしました(笑)。
でも、今年も、何度も繰り返し飲んでしまうんだろうな。

春が来るのって、なんでこんなにわかりやすくうれしいんでしょうね?
コントラストがくっきりはっきりしているからかな?

色のない、いわば「死」の世界の象徴のような冬から、
色とりどりの、「生」の世界の象徴のような春へ……。

ここには、やっぱり、「“生”物」としてのよろこびがあるように思います。

そうそう、少し話の方向が変わってしまうのですが、
私は、あるとき、人生観というか、死生観がくるっと大回転してしまって、
以降、「死」の方から「生」を見つめるようになってしまって、
いつのまにやら、それがふつうのことになってしまいました。

なんというのかな。
自分はすでに個別の生命をもたないなにかとして存在していて、
その視点からすべてを見つめているような……そんな感覚が常にある。

その「すべて」の中には、「小出遥子の人生」も含まれているんです。

「小出遥子の人生」を見つめているお前はいったい誰なんだ!?
と問われたら、誰なんでしょうね? と答えるほかないのですが……。

冒頭に挙げた茨城のり子さんの詩の最後の二行、

死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

これは、ほんとうに、真実以外のなにものでもなくて。

死こそ常態 生はいとしき蜃気楼
無こそ常態 有はいとしき蜃気楼
一こそ常態 多はいとしき蜃気楼

蜃気楼だからこそ、いとおしいのです。

ひとは生涯に
何回ぐらいさくらを見るのかしら

私は生涯に
何回ぐらいさくらラテを飲むのかしら(笑)

蜃気楼のようなすべてを、
今日も、ただ、見つめていこう。

 

よい一日をお過ごしください◎

 

あと十数名で定員です。お早目にお申し込みくださいませ~。

【3/4(土)】≪Temple School 特別イベント第1弾≫
臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺さん×バランストレーナー・小関勲さん対話
「“いのち”と“つながり”のお話」 &ヒモトレワークショップ

http://temple-web.net/event/39/

こちらはまだお席に余裕ございます。
ご友人等お誘い合わせの上、お気軽に遊びにいらしてくださいね。

【3/16(木)】Temple@神谷町光明寺
http://temple-web.net/event/45/