私の中の神様

2014年11月12日

「あなたが、生きて、こうして私と出逢ってくれてうれしいです。」

 

連絡を取り合うたびにそんなことを伝えたくなって、実際にそう伝えてしまう友人がいる。暑苦しいなあ、私、と思いつつ、どうしても伝えたくなってしまうのだ。いま、ここで伝えなきゃ。そう思ってしまうのだ。

 

彼女と「友達」になったのは、つい最近のことだ。実際に会ったのは、まだ二回だけ。でも、まったくそんな感じがしない。彼女との間には、やたらと濃密な時間が流れている気がする。

 

彼女の周りには、いつだって白くて細やかでやわらかな光の粒が飛んでいる。いや、白くて細やかでやわらかな光の粒が、彼女自体を構成していると言った方が正確かな。

 

「生きること」を、文字通り全力でやっている女性。

 

 

 

彼女は時おり不思議な話し方をする。

 

「私の人生、いちいち強烈で、もう、ほんとうに、愛おしいよ!」

「まったくもって、愛おしい身体だよ。泣けてくるよ。」

「生きてんなあ。愛おしいなあ。可愛いなあ。」

 

自分自身に、そして自分の人生にたいして、めいっぱいの愛情と祝福を注ぐかのような表現たち。

 

でも、本人いわく、「無意識!」なのだそうだ。

 

 

 

信じられないような、耐え切れないような……そんな数々の出来事が、彼女の「いままで」にはたくさんたくさん起こってきた。

 

それでも彼女は生きてきた。生きることを選択し続けてきてくれた。そうして、私と出逢ってくれた。たくさんの光の粒を私に届けてくれた。

 

ありがとう、の言葉しかなくなってしまう。

 

 

 

「“愛おしい”の言葉は、どこから出てくるの?」

「あなたを、あなたの人生を、“愛おしく”眺めているのは、いったい誰?」

 

そうたずねてみると、彼女は考え込んでしまった。ココアとジンジャークッキーを前に、彼女はしばらくの間、空中の一点をじっとじっと見つめていた。

 

「誰なんだろう……」

 

結論は、その場では出なかった。

 

 

 

数時間後、彼女からメールが届いた。そこにはこんなことが書いてあった。

 

「私は私の中の神様と、私は私をぜったいに見捨てませんって、契約したのかも。いつの間にか、その思いが、自分の中に息づいていたんだよね。」

 

 

 

読んだ瞬間、涙が出そうになった。

 

彼女と、彼女の人生を、「愛おしく」眺めているのは、きっと、“彼女の中の神様”なのだと思った。

 

 

 

私は、その“神様”を知っている気がする。

 

だって、たぶん、彼女の中の“神様”と、私の中の“神様”は、同じ人物だから。

 

そして、きっと、これを読んでくださっている「あなた」の中の“神様”と、彼女と私の中の“神様”も、等しく同じ人物だ。

 

 

 

“神様”はいつだって「ここ」にいて、私たちひとりひとりを、私たちひとりひとりの人生を、そのすべてを、どんなときだって、溢れんばかりの愛情をもって、全力で、「愛おしく」眺めている。

 

そして、この“神様”こそが、彼女の、私の、あなたの、本当の姿なのだと思う。

 

 

 

 

 

「あなたが、生きて、こうして私と出逢ってくれてうれしいです。」

 

「ありがとう。」