混乱の鎮め方 その1

2014年11月13日

先日、ある作家さんの「禅」についての講演を拝聴した。彼女はお坊さんではないし、直接的に「仏法」を説くようなことはされなかったが、それでもものすごく心に残るお話を聞かせてくださった。後に登壇された本職のお坊さんのなめらかなお話より、ずっとずっと惹きこまれた。

 

たぶん、そこには「人間」の姿があったからだと思う。その作家さんご自身が、「人間として」、苦しんで苦しんで、向き合って向き合って、ようやくたどり着いた「ある結論」と、そこから抜け出すための方法を、私たちに気前よく教えてくださったのだ。

 

(お坊さんは、「人間として」、ではなく、「僧侶として」、もっと言えば「職業として」、お話をされていたように感じました。社会的な立場からのお話、ということです。それゆえ、その方ご自身のお姿が、あまりよく見えてこなかった。良いとか悪いとかじゃなくて……でも、そのときの私の心には、ほとんどなにも残りませんでした。面白いお話をされていたような記憶はあるのですが。そして、なにを求めてお話をお聞きするかによって、結果は違っていたのだとは思いますが……。)

 

 

 

その作家さんいわく、「心が痛い」という表現があるが、あれは嘘である、と。「心」は実体のないものなのだから、痛みは感じない。痛いのは「身体」の方なのだ、と。

 

怒りや悲しみがやってきたら、まずは身体が痛くなる。左の肩甲骨周辺、左目の下、みぞおちの奥……。その「痛み」という身体感覚を、「あ、やってきたな……」ということで、まずはしばらく味わうのだそうだ。

 

味わって味わって、「ああ、ぜんぶ、身体が引き受けてくれているんだなあ……」という事実に思いをいたす。すると、その時点で、不思議と、かなりの部分の「痛み」が消えていく、ということだった。

 

 

 

それでも消えない「痛み」に対しては以下のようにする。

 

「痛み」を作り出しているのは、自分の頭の中の「言葉」たち。1割のノンフィクションから、9割のフィクションを編み出してしまう、言葉の洪水。頭の中には鬼軍曹のような恐ろしい人物がいて、そいつが言葉を使って自分を責めたて、追い立てるような言葉をぎゃんぎゃんと喚き散らすのだ。

 

それで、そこから先のその作家さんの行動がユニークで!

 

彼女は、そこまで分析が進んだら、おもむろに携帯電話を取り出して、なんと、彼女自身の頭の中の鬼軍曹に、電話をかける(!)のだそうだ。

 

「ちょっと、あんた、いい加減にしてくんない? こっちは迷惑してんだけど! え? なにが不満なの? 十分じゃん! 家族は元気だし、ちゃんと学校にも行ってるし! これ以上なにを求めるの?」

 

頭の中で思うだけじゃなく、実際に声に出して言うのがポイント、ということだった。声に出して、思いっきり文句を言うと……頭の中の鬼軍曹の声は止んでしまうのだそうだ。

 

 

 

ものすごくユニークだけど、理にかなった方法だと思った。毒をもって毒を制す、じゃないけれど、「言葉」によって始まった混乱を、「言葉」によって鎮めていくのか……。

 

 

 

すごいなあ……と、非常に強い感動を覚えつつお話を聞いているうちに、はっと気がついた。

 

 

私も、「電話をかける」ようなことはしないけれど、実は結構似たようなことをして、自分の中の混乱を鎮めているなあ、と。

 

 

憧れの作家さんのお話と、自分自身の体験を並べるのもおこがましいような話だけれど、せっかくなので私のやり方も紹介します。

 

 

 

 

 

が、この時点で結構な文字数になったので、続きはまた明日!