純粋な「目」としての、神、仏、愛

2017年2月26日

おはようございます。小出遥子です。

今日はもう直球も直球で、「キホンのキ」的なお話をします。

私たちは、普段、
思考の所有者、感情の所有者、肉体感覚の所有者として
「私」という存在をとらえています。

でも、今日は、ちょっと立ちどまって考えてみましょう。
これって、ほんとうなのかな? って。

第一に、思考も、感情も、肉体感覚も、常に変化し続けていますよね?

たとえば、あなたは、ちょうど30分前に自分が考えていたこと、
感じていたことを、明確に覚えていますか?
10分前は? 5分前は? 1分前は? 15秒前は……?

すべて、「なんとなく」思い出せても、
「明確に」と言われると難しいのではないでしょうか?

なぜなら、思考も、感情も、肉体感覚も、
すべて瞬間ごとに変化していて、一瞬たりともとどまることはないから。

ここまでは、すんなりと理解できますよね?

そうしたら、あと一歩だけ踏み込んで考えてみましょう。

思考、感情、肉体感覚が、
瞬間ごとに「変化」していることに気づいているのは、
じゃあ、いったい、誰? あるいは、なに?

「変化しているもの」に気づいているものは、
「変化しないもの」でなければいけないはずですよね?

諸行無常の世の中にあって、たったひとつ、決して変化することなく、
すべての変化を見つめている誰か、あるいはなにかが“ある”のです。

そして、その誰か、あるいはなにかは、
遠いどこかに独立して存在しているわけではなくて、
変化しつづける「私」と、いまこの瞬間だって、確実にともにあるのです。

その、「私」と“ひとつ”としてともにある、
純粋な「目」としての誰か、あるいはなにかのことを、
どうにもこうにも名づけようがなくて、
人々は、「神」とか、「仏」とか、あるいは「愛」と呼んできたのだと思う。

神も、仏も、愛も、いつだって“ここ”にある。
この私とともにある。

そう感じられても、感じられなくても、それは間違いないのです。
だから、ほんとうに、どうあっても大丈夫。
安心して、ただ、生きていけば良いのだと思います。

よい一日をお過ごしください◎

 

満員御礼!!!  ……ですが、あと5名ほど受け付けます!
どうか、お早目にお申し込みください。

【3/4(土)】≪Temple School 特別イベント第1弾≫
臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺さん×バランストレーナー・小関勲さん対話
「“いのち”と“つながり”のお話」 &ヒモトレワークショップ

http://temple-web.net/event/39/

こちらはまだお席に余裕ございます。
ご友人等お誘い合わせの上、お気軽に遊びにいらしてくださいね。

【3/16(木)】Temple@神谷町光明寺
http://temple-web.net/event/45/