文字起こしと瞑想

2017年2月28日

おはようございます。小出遥子です。

昨日は2件の打ち合わせのほかの時間は、
ずーっと取材の録音音声の文字起こしをしていました。

文字起こしって、私、好きなんですよ。

まあ、毎回、スタートしてから数分の間は、
小出遥子の自我が暴れまわってですね、
「うわあ、私、めちゃめちゃ緊張してんな!」
「舌、ぜんぜん回ってないじゃん!」
「なにこのトンチンカンな相槌!」
「話の持っていき方が乱暴すぎる~!」とかなんとか、
ICレコーダーの中の自分自身に対するツッコミが止まらなくて、
そのたびに再生を一時停止して、
乱れに乱れた呼吸を整えなくてはならないので
なかなか大変ではあるのですが……。

でも、しばらくすると私もさすがに観念して、
静かに作業に没頭しはじめて……。

この「没頭感」が、すごく素敵なんですよね。

音声を聞いているようで聞いていない。
でも、すごく集中している。
文字を起こしているようで起こしていない。
でも、すごく集中している。

努力感はなにもない。
でも、作業はすごく進んでいる、みたいな。

表現が難しいのですが。

その時点では、もはや、録音音声の中の取材相手と
小出遥子との間の区別はなくなり、
(いや「区別」はあるのですが、
小出遥子の声だけを特別視しなくなるんですね)
「ただ、そこに対話が起きている」ことを
ものすごくフラットに受け止めることができていて……。

これ、すごく心地いいんですよ。
あたまも、こころも、からだも、すごく活動しているのに、
そこに無理やりな感じが一切なくて。
それこそ「流れ」の中にある感じで。

瞑想状態、と言えばそうなのかもしれないけれど、
ほんとうは、これは決して特殊な「状態」ではなくて、
いつだって、なにをしているときだって、
これと同じことが起きているんですよね。

すべては、ただ、起きていて、
そこに「なにかをしている自分」はいなくて、
ほんとうに、ぜんぶ、完全、完璧にととのっていて……。

とは言え、人間、ふつうはその事実をすっかり忘れて、
「俺が俺が」「私が私が」の世界を生きて、
勝手に自分を疲れさせてしまうんですけれど……。

でも、何度も忘れても、何度も思い出せばいいだけですね。
思い出すためのスイッチは、日常のそこここに潜んでいるので。

ということで、今日もお仕事がんばります!

よい一日をお過ごしください◎

 

キャンセルが出ましたので、あと若干名受け付けます。
どうかお早目にお申し込みください!

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