「もうひとりの自分」のお話

2017年3月2日

おはようございます。小出遥子です。

ここ最近、根源的なことを書いた投稿ばかりですが……
なんなんですかね? なんか、自然とそうなっちゃっているんですよね。

原点回帰の春……。

ということで(?)、今日も「キホンのキ」的なお話を。

仏教をはじめとする、
ありとあらゆる本質的な知恵・智慧のド真ん中にあるものは、

「自分が自分だと思っている“それ”って、ほんとうに自分なんですかね?」

という問いかけだと思っています。

いや、もっと正確に言えば、

「自分のことを自分だと思っている“それ”って、いったいなんなんですかね?」

ということになるかな。

だってね、そもそも、おかしな話ではあるんですよ。

私たち、ごくごく当たり前のように「自分がいる」と思っていますけれど、
そもそも、なんで「自分がいる」ということを認識できるんですか?

自分という存在を認識している、もうひとりの自分がいるからですよね?

だってそうですよね。
認識っていうのは、AとB、ふたつの別々の事象があって、
はじめて成り立つものですから。

ここまでは理屈でわかりますよね?

うん。

じゃあもう一歩踏み込んで……

その「自分という存在を認識している、もうひとりの自分」って、
いったい誰なんですかね?

誰? あるいは、何?

誰なんですかね? 何なんですかね?

いつだってこの自分とともにある、
この、もうひとりの自分って……。

たぶん、そこに明確な答えを出すことはできなくて。

でも、それは、いつだって、ここにいる。あるいは、ある。

それ以上でも、それ以下でもないのだと思う。

でも、そのもうひとりの自分の存在は、
この(個の)自分にとって、究極的な「救い」になるのだと思う。

ただただ、そんなことを思います。

よい一日をお過ごしください◎