受けとめられている

2017年3月3日

おはようございます。小出遥子です。

よろこびでも、怒りでも、悲しみでも……
なんであれ、いまここにそのようにしてあらわれているものは、
それはそれで「あっていい」というか、
自分が許可を与えるまでもなく「すでにそうなっている」のだから、
まずはいったん受けとめざるを得ないのだと思います。

受けとめたら、ごくごく自然に「次」が展開していくから。

でも、そうは言っても、この「受けとめる」というのも難しくて。
だって、自分の意志でどうこうできるものじゃないですから。

「受けとめる」ことができたときは、そういう縁が整っていただけ。
「受けとめられない」ときは、それもそれでそういう縁だっただけ。

じゃあ、どうしようもないじゃん。

……そう、どうしようもないんです。

でも、ひとつだけ抜け道があります。

「こんなもの、受けとめられないよ!」と思うときは、
「受けとめられない」と思う自分すら、
すでに、完全、完璧に受けとめられているということ。
その事実に、ふんわりと着地すればいい。

私たち、いつでも、どこでも、なにをしていても、
ご縁という名の網に、完全、完璧に、受けとめられているんです。
だからこそ、いつ、どこで、なにをすることもできるんです。

「受けとめる」のは自分の仕事じゃない。
自分がなにかを受けとめても受けとめなくても、
すでに、すべては、完全、完璧に受けとめられている。

これ以上にありがたいことって、ほんとうはどこにもない。

受けとめても、受けとめなくても、受けとめられて、
ただただ、生きていきましょう。

よい一日をお過ごしください◎