「絶対的な観察者」のお話

2017年3月4日

おはようございます。小出遥子です。

今日も直球なお話。

自分が主体となってなにかを「している」わけではなくて、
行動というものは、ごくごく勝手に「起こってくる」のです。
そこになにかをしている自分はいないのです。

……と言っても、たぶん、そう簡単には信じられませんよね。
ふだん、私たちは、「自分」というものを
行為の絶対的な主体者だと考えて疑うことをしていませんから。

でも、これがほんとうかどうかは、実は簡単な観察でわかるんです。

たとえば、あなたは、次の瞬間に自分が考えることを知っていますか?
あなたが、次の瞬間に味わう感情を知っていますか?
次の瞬間に自分がしていることを、ほんとうに知っていますか?
ほんとうのほんとうのほんとうに知っていますか?

「知らない」ですよね?

それらは、「自分」とは無関係に、
ごくごく勝手に湧き上がってきますよね?

じゃあ、もう一歩観察を進めて。
その、主体不在のままに起こってくる
思考や感情や行動に「気づくことができる」のは、
いったいどうしてなのでしょう?

そこに、絶対的な観察者(「観察」でもないのですが……。あえて言うなら。)が
「いる」、あるいは「ある」からですよね。

その「絶対的な観察者」って、いったい誰、あるいは何なのでしょう?

……この問いかけに対する絶対的な「正解」は、たぶん、ないです。
でも、それには、古来、たくさんの呼び名が与えられてきました。

神。仏。愛。あるいは……。

呼び方が違うだけで、絶対的な観察者は、
絶対的に共通のものとして、
ただ、ここに、ある。

その事実に気づくことさえできれば、
宗教戦争なんていう本末転倒なことはなくなってしまうはず。
って、話が大きすぎますか?
でも、本気でそう思っています。

願いは、ここに集約されるなあ。
もう、ただ、それだけだなあ。

今日はTemple School開校日。
わくわくしています。

よい一日をお過ごしください◎