「フラット」の意味

2017年3月10日

おはようございます。小出遥子です。

Templeという場は、ほんとうに、
ご縁の網目の中からフワッと生まれてきたものなので、
実際のところ、そこにはほとんど、
私自身の「ああしよう」「こうしよう」という思いは
含まれていないのですが、
ただひとつ、最初から、「これだけは譲れない」と
思っていたポイントがありました。

それは、「完全に“フラット”な場を作りたい」ということ。

というより、すべての存在は最初から「フラット」、
そもそもそこに「差」なんかなくて、
ほんとうの意味で「平等」である。
そのことを、ただただ思い出し、くつろぐ場として、
Templeを位置付けたかったのです。

だから、私は一応「Temple主宰」だし、
イベントの「主催者」でもあるけれど、
それはあくまで「役割」であって、
もっと強く言えば「役割」でしかなくて、
「参加者」という「役割」をやってくださるおひとりおひとりと、
本質的には、1ミリだって「差」はない、ということ。

それは先日開校したTemple Schoolでも同じです。
主宰者であり、主催者である私はもちろん、
講師をお引き受けくださったお二人の先生方も、
あくまで「役割」としてあの場に立ってくださったわけで、
「参加者(受講者)」という「役割」であの場にいてくだったみなさんと、
本質的なところでは、やっぱり、なにも「差」はないんです。

Templeでは、毎回、最初のご挨拶のときに、
「お寺の外でまとっている肩書きや役割は、一度、すべて
仏さまにお預けして、“なにものでもないいのち”としてくつろぎ、
一期一会の出会いをたのしんでください」
とお伝えしているのですが、
そうは言っても、そこにはどうしても
「講師」「参加者」「主催者」という「役割」の人は生まれてしまう。
「役割」がなかったら、その場が成立しないですからね。

でも、その「役割」すら、“いのち”が、瞬間的に、
そういうかたちをとってあらわれているだけなのだとしたら……
やっぱり、そこには、なにも「差」はないんです。

そして、実は、Templeという場においてだけじゃなく、
ほんとうは、ありとあらゆるすべての場で、
これと同じことが起きているだけで。

すべては、同じ“いのち”のあらわれ。

それを、ただ、思い出すことができたらいいな、って。

“なにものでもないいのち”にくつろげる場としてのTemple、
これからも続けていきます。

次回は、来週木曜日に、川崎の髙願寺さんで行います。
前野隆司さんにもお越しいただきますよ。
ご興味がございましたら、ぜひ^^

よい一日をお過ごしください◎

 

会場が神谷町光明寺から川崎の髙願寺に変更になりました!
ご友人等お誘い合わせの上、お早目にお申し込みくださいませ。

【3/16(木)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年3月16日(木)
19:00~21:00(受付18:30~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

http://temple-web.net/event/45/