世界は感謝でできている

2014年11月26日

区切り打ちでの四国遍路旅、第4回目から、昨日の朝、戻ってまいりました。

 

今回は、徳島県の最後の札所、第23番薬王寺から、高知県の最初の札所、室戸岬の端っこにたつ第24番最御崎寺までの約80キロの道のりを歩いてきました。80キロ弱と言えば、新宿~小田原間とほぼ同距離らしいです……。そう考えると結構な距離ですよね。

 

とは言え、今回は一日20キロずつの歩行だったので、割とのんびりペースだったんですけどね。それでも初日から足に何個もマメができたり、それがつぶれたり、マメの上にさらなるマメが発生したりで、それなりの苦難を味わいつつの道のりではありました。

 

無事歩き切れてよかったです。

 

みなさまのおかげです。本気でそう思っています。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

お遍路中って、基本的に心の中が感謝で満たされるんですよね。

 

四国の地を歩かせていただいていること、好きで歩いているだけなのにやさしい言葉をかけていただけること、ときには心のこもったお接待をいただけること、美しい自然の中を歩かせていただけること、かなりの距離を歩けるだけの丈夫な身体を与えてもらっていること、貧乏旅ではあるけれど、とにかくここに来られるだけの時間的、経済的な余裕があること……。なにを取っても感謝しかない。疲れてお腹が空いているから、なにを食べてもものすごく美味しいし、お風呂に入ればそのあたたかさに涙が出るほどほっとするし、布団に包まればそのやわらかさに感動するし、いちいち「ありがたいなあ」の言葉が口をついて出てきます。道沿いの畑で農作業をされている方々にも、自然と手を合わせたくなってしまいます。朝日にも夕日にも手を合わせたくなってしまいます。

 

感謝をベースにして生きていけること、それは普段の私から考えれば、もうこの時点で、ものすごく殊勝なことではあるわけです。お遍路中は、ずーっと「しみじみ」しています、私。普段自分がどれだけいろんな人やものの助けや支えに鈍感に生きているか、そのことに気づかされて、はっとしたりします。

 

不満ばっかり言っているような人は、四の五の言わずにお遍路さんをやらせてもらえばいいと思う。お遍路の旅は「真人間」を生み出すと思う。どんな人だって、きっと、歩いているだけで感謝をせざるを得なくなる。感謝は人をまともにする。ものすごい舞台環境が、この日本には千年以上の昔から備わっています。そのことに私はすっかり感動してしまっています。日本、ぜんぜん捨てたもんじゃないよ、なんて、偉そうなことを思ってしまいます。

 

 

 

でもね……なんだろ、感謝って、本当に「する」ものなのかな、とも思ったんですよね、今回。

 

 

 

と言うのは、旅の途中、とある海沿いの道を歩いているとき(いや、今回はずーっと海沿いの道ではあったんですけどね……)、ふいに、歩いている自分と、周りの風物たちとが、ぜんぶぜんぶぜんぶいっしょくたになって、海風に一気になぎ払われたような……そんな感覚になったんです、ほんの一瞬。

 

感謝を行為として「する」自分が消え、感謝「される」対象としてのなにかが消え、そこに確かにあったはずの薄皮一枚の区切りが消え……あとには、純粋な「感謝」だけが存在していました。

 

自分も、人も、空も、雲も、陽射しも、海も、波も、岩も、風も、草も、車も、民家も、自動販売機も―― ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、「感謝」そのものとなって、一切の区切りなく、ただただそこに存在していました。

 

ほんの一瞬でしたが、それでも、あのリアリティーにはすさまじいものがあった。

 

そこには「感謝」だけがあった。「感謝」しかなかった。

 

私の生きる世界の正体は、「感謝」そのものでした。

 

 

 

「感謝」は、行為ではなく、状態なのだと――

 

「感謝」は、「するもの」ではなく、「生きるもの」なのだと――

 

そう、思い知らされたような気がしました。

 

 

 

 

 

そうは言っても、もちろん、感謝を「しよう」と思うことはとても素晴らしい心掛けだし、みんなが自分の周りの小さなことに、少しずつでも「ありがとう」の気持ちを持てたとしたら……この世界は、考えるまでもなく、いまよりももっともっとやさしく、あたたかなものになるでしょう。

 

でも、行為としての感謝以上の「感謝」が、実はこの世界には存在していて……というか、本当は、この世界は「感謝」そのものでできていて、きっと誰もにそれは開かれていて、誰だって、なにかのはずみでそちらを垣間見ることだってできるのだと、そして、きっと、心がけ次第で、そこを生きていくことだってできるのだと……「ありがとう」だけがある世界、「ありがとう」しかない世界、そちらこそが世界の本体なのだと、私たちはそここそを生きるべきなのだと……そんなことを思ったのでした。

 

 

 

 

 

感謝そのものとして存在して、感謝そのものとして生きていきたいです。

 

いつだってそのことに気づいていられる自分でいたい。

 

 

 

そんなことを思った今回のお遍路旅でした。次はいつ行けるかなあ。