賢者の教え

2014年11月28日

砂漠に住むアントニオスをひとりの若者が訪ねてきた。

 

「師よ、わたしは持っているものをすべて売り、その金は貧しい者に与えました。手元に残ったのは、ここで生きていくために必要最小限のものだけです。どうかわたくしに救済の道を教えてください」

 

アントニオスは、その手元に残ったというわずかなものを売り、その金を使って町で肉を買い、帰り道ではその肉を体にくくりつけて帰るようにと告げた。

 

若者はその言葉に従った。帰り道、彼は肉をねらう野犬や鷹に襲われた。

 

「帰ってまいりました」

 

そう言って若者は傷を負った体や、引き裂かれた服を見せた。

 

「新しい一歩を踏み出そうとしながらも、昔の人生を少しでも保とうとする者は、結局過去に傷つけられることになる」

 

聖人はそう答えた。

 

 

 

『マクトゥーブ 賢者の教え』パウロ・コエーリョ著 木下眞穂訳 角川書店より

 

 

 

 

 

四国遍路は、ほとんどの時間、言ってみれば「ただ歩くだけ」なので、必然的に自分の内面と向き合うことが多くなる。それが良い風に出れば、先日書いたように「感謝でいっぱい!」ということになるのだが、それだけじゃないというのが少しばかりキツイところでもあり……。

 

簡単に言えば「毒出し」みたいなことも起こりやすくなる、ということ。それも、「ドバッと一気出し! 出血大サービス!」といった風に、かなり派手な感じになることも多いのだ。

 

自分という存在、丸ごと、巨大な攪拌機にかけられるようなもので。シャッフルに次ぐシャッフルのうちに、ふだん心の奥底に押し込めて見ないようにしていた「澱」のようなものたちが、一気に表面に浮かびあがってきて、「これでもか、これでもか」とばかりにその存在をアピールしてくるのだ。

 

 

 

今回は、3日目の夜に、それが、きた。具体的になにがあったかは書かないけれど、とにかく、自分のいままでのやり方じゃ、もうだめなのだ、ぜんぜん立ち行かないのだ……その事実を思いっきり突き付けられるようなことが、出来事として、実際に起こったのだ。

 

やり方を変えるべきだというのは頭の中では分かっている。あたらしいやり方に魅力も感じる。でも、どうしたって苦しいのだ。苦しいし、悔しいし、悲しい。いままでの自分というものが、ぜんぶ否定されてしまった。それを認めることが、どうしたってできないのだった。

 

私はたぶん、単純に、スネていたのだと思う。面白くなかったのだ。

 

 

 

その日は面白くない気分のまま眠りに就き、翌朝、面白くない気分のまま目を覚まし、面白くない気分のまま4日目の歩き遍路を開始した。

 

せっかくうつくしい海沿いの道を歩いているのに、その朝はすべてがどんよりと灰色にかすんで見えた。というか、頭の中の自分の声がやかましくて、景色を楽しむ余裕など、すっかりなくなってしまっているのだった。

 

頭の中の自分は、いろいろなことを叫んでいた。

 

「嫌だ!」「苦しい!」「悔しい!」「悲しい!」「面白くない!」「認めたくない!」「間違ってない!」「こんなに頑張ったのに!」「なんで!」「なんで!」「なんで!」

 

バリエーションはさまざまだったが、でも、その底にあるのは、ただひとつの声だった。

 

「死にたくない!」

 

 

 

あたらしいやり方は、すでに目の前に提示されていた。それは、はっきり言って、ものすごく魅力的なやり方だった。そちらを選べば、ほぼ間違いなく自分の望む結果が得られることだろう。それは分かり切っていた。あとは、それを選択できる自分になるだけだった。

 

でも。

 

「あたらしいやり方を選ぶ」、ということは、つまりは、「あたらしい自分になる」ということで、それはそのまま「いままでの自分を手放す」、もっと言えば「殺す」ということで……。

 

 

 

「死にたくない!」「殺されたくない!」

 

いままでの自分が暴れまわるのも、当然だった。

 

 

 

でも――

 

 

 

「恐れ」から選ぶ? 「愛」から選ぶ?

 

 

 

答えは、もう、出ているのだった。

 

私は、未来に、「愛」を見ていたいのだった。

 

 

 

刹那、波の音が、「死にたくない!」の声をかき消すほどに大きくなった。

 

 

 

いましかない。

 

「いままでの自分」を、私は、ここに、置いていこう。

 

 

 

そう決意した、次の瞬間。

 

びっくりするほどの高波がやってきて、「いままでの自分」を呑み込んで、海の向こうに連れていってしまった。

 

あっという間の出来事だった。

 

 

 

 

 

「新しい一歩を踏み出そうとしながらも、昔の人生を少しでも保とうとする者は、結局過去に傷つけられることになる」

 

 

 

 

 

過去から持ってきていいものは、「生きてきた」という事実、その一点だけだ。

 

その一点だけを心に抱いて、丸裸で生きていこう。

 

 

 

そう思った。

 

「あたらしい自分」が、そう思っていた。