期待が苦しいときは

2017年3月18日

おはようございます。小出遥子です。

期待のないところに流れはあるなあ……
なんてことを、つくづく思います。

いや、流れ自体はいつだってここにあるのですが、
妙な期待が自分の中にあると、それが見えなくなってしまうんですね。

「まず自分の目から梁を取りのけなさい」
とは聖書のことばですが、これは、そのまま、
「まず自分の中から期待を取りのけなさい」
という意味にも取れるなあ、と思っています。

……とは言え。

「期待するなって言われたところで
勝手に湧いてきちゃうんだよ~! うわ~ん!」
と泣きたくなる気持ちは非常によくわかる。

とくに恋愛関係とか、家族関係とか、あとは仕事もそうかな、
密な人間関係のあるところには、
どうしたって期待が生まれてしまうもの。
自分のしあわせは相手の行動にかかっている、と思ってしまうんですよね。

そんなところにほんとうのしあわせはない、
しあわせは、いま、ここ、自分に属するものであて。
いつか、どこか、誰かに属するものではない!
……ということを見抜いてしまえば、
もう、自然に、妙な期待を持つこともなくなって、
どんどんどんどん楽になっていくのですが、
(誰かやなにかに期待しないのって、ほんとうに楽です!)
まあ、これにも段階があるかな……。

以下は、あくまで、私自身はこうしてきました、という例ですが、
(そして、これは、仏教も非二元も
まったく関係ない「ふつう」のお話ですが……)
なにかのヒントになるかな、と思って書きます。

たとえば、恋愛のお相手が自分の期待通りに動いてくれなくて
「ムキー!」となってしまうようなときには、私は、
まずは自分自身が、その期待通りの行動をする、
ということをしていました。

「もっと頻繁に連絡してよ!」と思うときには、
自分が誰かに対して連絡を滞らせていないか、チェックします。
友人だったり、仕事の関係先だったり、返事をするべきなのに
後回しになっているような案件に、真剣に取り組むんです。

「もっとやさしくしてよ!」と思うときには、
自分の身の周りの誰かにやさしくする。

「もっとたのしそうにしてよ!」と思うときには、
まずは自分がとにかくたのしく日常を過ごす。

こんな感じ。
これを、日常のすべてでやり続けます。

「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい」
とはガンジーのことばですが
(なんか今日のブログ、名言botみたいになっていますね。笑)
誰かやなにかに対する期待が湧いてきたら、
まずは自分がそれをやってしまう。

期待が苦しいのは、あたまの中がそのことでぱんぱんになってしまうからです。
あたまの中がぱんぱんで苦しいときは、実際にからだを動かすに限ります。
人間、動きたくても動けないっていうのがいちばん苦しいんです。
動きはじめたら、ごくごく自然に、苦しさは解消されていきます。
ものすごくシンプルです。

あと、これも私の話なんですけれど、
誰かを好きになったら、
「あの人(好きな人)に○○して欲しい!」
という方向にエネルギーを使うよりも、
「あの人みたいになりたい!」
という方向に進んだ方が、人生、たのしく生きられるなあ、と。

これも「考える」より「動く」の例ですね。
動くのは、単純に、たのしいです。

流れって、動きの中にあるんですよね。
動いてはじめて流れに気づけるというか……。

流れに乗りたいなら動くこと。
期待するよりまず行動。

これまでの(苦々しい)人生から得た教訓です(笑)。

参考になればうれしいです。

よい一日をお過ごしください◎

 

【4/22(土)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年4月22日(土)
13:30~15:30(受付13:00~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

「二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける」
という記事をベースとした、いのちの対話の集いです。
ふるってご参加くださいませ!