続・諸行無常ということ

2017年3月21日

おはようございます。小出遥子です。

昨日のブログでは、

「諸行無常」ということばは解釈次第で
ポジティブにもネガティブにも取れる

と言ったようなことを書きました。

でも、本来の仏教的な解釈としては、「諸行無常」ということばには、
ポジティブな意味も、ネガティブな意味もないんですよね。
今日はそのあたりのことを書きます。

では、まずは大元の大元まで戻って……。

「諸行無常」って、
「この世のすべては移り変わる」といったような意味ですけれど、
じゃあ、その「すべて」は、
いったい「なに」に対して移り変わっているんですかね?

というところから。

「変化」を「変化」としてとらえるためには、
その「変化」に対して、決して「変化しない」ものが必要なんですよ。

そこに「変化しない」ものがなければ、
「変化」を「変化」としてとらえることは決してできませんから。

そうですよね。

じゃあ、
その「変化」を「変化」としてとらえている「変化しないもの」って、
いったいなんなんですかね?

肉体としての自分?
……じゃないですよね。

自分だって、ほんとうは、瞬間ごとに変化しているわけですから。
もっとはっきり言えば、瞬間ごとに老いていっているわけですから。

自分が自分だと思っているものをもひっくるめて、
この世のすべては移り変わる……。

その変化を、ただただゆるし、受けとめている、
決して変化することのない「それ」って、いったいなんなんでしょう?

先述の通り、「それ」はすでに人間を超えています。
人間が「移り変わる」なにかに対して
プラスの感情を持とうが、マイナスの感情を持とうが、
「それ」は、ただ、すべてをゆるし、受けとめているんです。

「それ」って、いったい、なに……?

わからない。

ただ、ひとつだけ言えるのは、
「それ」は、ある、ということ。
いまここに、「それ」は、ある。
個としての私と、いまこの瞬間も、ともにある。

ただそれだけだし、それさえわかれば、それでいいのだと思います。
それさえわかれば、瞬間ごとに移り変わるこの世において、
安心の中で、暮らしていけるから。

東京は雨降りです。
みなさんのところはどうですか?

よい一日をお過ごしください◎

 

【4/22(土)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年4月22日(土)
13:30~15:30(受付13:00~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

「二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける」
という記事をベースとした、いのちの対話の集いです。
ふるってご参加くださいませ!