移動なんかしていない

2017年3月25日

おはようございます。小出遥子です。

私はフリーランスで仕事をしているので、
今日は一日中家にこもりっきりだったな……なんて日も珍しくありません。
でも、取材や打ち合わせなどは、たいてい外で行われるので
(というか自宅でそれらをしたことなんてほんの数回の例外だけです……。
「大物作家」になればそういうことができるのかしら? イササカ先生みたいに!)
そのときは慣れ親しんだ部屋着を「えいや!」と引っぺがして(笑)
それなりにお化粧もして、いそいそと出かけていきます。

たとえば先日の私の動きはこんな感じ。

家を出て、銀行に寄り、地元の駅前で取材先へのお土産を買って、
微妙に時間が余ったので駅の中のカフェでコーヒーを飲み、
その後、定刻通りの電車に乗って横浜駅へ。
少し迷いながら横浜市営地下鉄の駅に辿り着き、センター南駅へ移動。
2時間の取材を終え、センター南駅から日吉駅まで移動して東横線へ。
中目黒駅で日比谷線に乗り換え、神谷町駅下車。
駅前の某カフェに先月忘れたスヌードをピックアップしに行き、
(3週間以上も放置して、お店の人には大変なご迷惑をおかけしました……)
そこから徒歩1分の某社に移動。簡単に打ち合わせを済ませて、再び神谷町駅へ。
メトロを乗り継いで地元の駅に戻り、
書店で夫と待ち合わせて、駅前のエスニック料理店で乾杯。
ほろ酔いで家に帰ったときには、とっぷりと日も暮れておりましたとさ。

うん……。割とどうでもいいですね(笑)。
細々書き記すようなことでもなかった気もしますが、
(でも、なにか、書いてみたかったのですね……)
まあ、ここからが本題です。

私、上の文章の中で
何回も「移動」ということばを使っていますけれど、
私は、ほんとうに「移動」なんかしたんですかね?

いや、私のからだ自体は、
その日、たしかに横浜にいたし、神谷町にいたんですよ。

でも、このからだだけをずーっと見ていくと……
私はいつだって「ここ」にいて、「ここ」以外にはいなかったんです。

地元の駅から横浜に移動して、そこから神谷町に移動して、
地下鉄で地元に戻ってきました、というのは、
あくまで、あたまの中の地図の上でのことであって、
私のからだは、どこにいても、なにをしていても、
いつだって「ここ」にあった。

ついでに言えば、時間もそうですね。
11時に地元の駅にいて、13時に横浜にいて、16時半に神谷町にいて……
というのは、まあ、事実ではあるのですが、
その時々に、自分のからだが置かれているのは、
いつだって「いま」で、「いま」以外にはなくて……。

あまりにも「当たり前」のことなんですけれどね。
でも、この「当たり前」の「いまここ」を見落とすと、
あっという間に時間と空間のトリックにハマって、
「なんだか知らないけど忙しすぎて……もうダメかも……」
みたいな感じになってしまうような気がするんです。経験上。

逆に言えば、この「当たり前」の「いまここ」を生きることさえできれば、
どんなに忙しくても、「自分」を見失うことはないんじゃないかな。

もちろん、それでも疲労は起きてきますけれどね。人間だもの。
でも、時間と空間のトリックの中で起こる疲労とは質がまったく違うので。

忙しいときほど、「いまここ」を思い出して深呼吸です。

今日は土曜日ですが、3時半に起きて仕事しています。
「いまここ」に落ち着きながら、がんばります!

よい一日をお過ごしください◎

 

【4/22(土)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年4月22日(土)
13:30~15:30(受付13:00~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

「二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける」
という記事をベースとした、いのちの対話の集いです。
ふるってご参加くださいませ!