悩みについて

2017年3月28日

おはようございます。小出遥子です。

昔、妹が、

「朝起きてからしばらくはなにも考えられずにぼうっとしているんだけど、
時間が経つにつれて、いま悩んでいることとか、今日やらなきゃいけないこととかが、
ちょうどPCのデスクトップにアイコンが表示されるように、
あたまの中に、少しずつ、ポッ……ポッ……ポッ……と浮かびあがってきて、
それが一個増えるたびに、あたらしい一日に向かう気力がそがれていくんだよね……」

と言っていて、その表現力の高さに、思わずうなってしまったことがありました。

この場合のPCは、メモリいっぱいの、動作の遅くなったやつね(笑)。

わかるよ……。
できるものなら、まっさらなあたまで一日を過ごしたいよね……。

と、姉も、切に思います。

でも、ひとつ、見落としてはいけないポイントがあって。

上記のたとえからもわかるように、
人間、夢も見ないような熟睡時には、
「悩み」という名の思考からフリーでいられるんです。

つまり、こういうことが言えます。

人間、悩んでいないときには、悩んでいない!

あはは。当たり前ですね(笑)。
この当たり前の事実を、もっと正確に言うと、

人間、「悩み」という名の思考を浮かべていないときには、悩んでいない!

ということになります。

なにかの悩みを抱えているときって、なんかもう、自分の時間のすべてが
その悩みにのっとられてしまったように感じませんか?

でも、それは、その瞬間に「私は“ずっと”悩んでいる」という思考が湧いているだけ。

「継続的な悩みに悩まされている」(日本語変ですが)という思考が、
いま、この瞬間に湧き上がっているだけで、
その悩みがほんとうに継続的に存在しているのかどうかは、
ほんとうのところ、誰にも、自分にさえもわからないんです。

ちょっと「はっ」としませんか?

で、ここからがもっと大事な話。

悩みという思考が、いま、この瞬間に浮かび上がっている、
ということに気づいている自分がいるとして、
その気づいている方の“自分”は、実は決して悩んでいない、
ということに気づけますか?

そこに、どんな思考や感情や感覚が浮かび上がっていたとしても、
それらに気づいている“自分”は、いつだってまったく影響を受けず、
それこそアイコンが表示される前のPCのデスクトップのように、
完全に「まっさら」であることに気づけますか?

(まあ、ほんとうのところ、それらは「ひとつ」であって、
ふたつに分けられるものでは決してないんですけれど、
それを説明するためには、ある程度段階が必要なので、
今日のところは、こういう風に表現させていただきます。)

「まっさらな“自分”」が、
いつだって、どこにいたって、なにをしていたって、
間違いなく、「いまここ」に「いる」。というか「ある」。
そのことさえ思い出せれば、どんな悩みがやってきても、
必要以上に憂鬱になることはなくなるんじゃないかな。

なにかのお役に立てればうれしいです。

よい一日をお過ごしください◎

 

【4/22(土)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年4月22日(土)
13:30~15:30(受付13:00~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

「二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける」
という記事をベースとした、いのちの対話の集いです。
ふるってご参加くださいませ!