dialogue

2014年12月8日

もう、誰もが、「ほんとうのこと」を知り、「ほんとうのこと」を語り、「ほんとうのこと」を生きていくべき時代なのだと思います。

 

 

 

「ほんとうのこと」は、存在すべてが共通して持つ、たったひとつの世界です。

 

時間も空間も超えて、誰もが等しく「知っている」ことです。

 

でも、みんな、普段は、自分がそれを「知っている」ことを忘れてしまっているのです。

 

逆に言えば、ただ忘れてしまっているだけなのです。

 

それは、きっと、いつだって「思い出せる」ものなのだと思います。

 

 

 

思い出すための鍵は、「対話」にあります。

 

 

 

ちっちゃな違いに目くじら立てて「これは正しい!」「あれは間違っている!」「私が正しい!」「お前が間違っている!」と争っている時間なんて、はっきり言って、ぜんぜんないんです。

 

「違い」なんて無数にあって当然です。そこを争っていてもきりがない。

 

たったひとつの「同じこと」、たったひとつの「ほんとうのこと」、そこに目を向け、そこを知り、「対話」でももってそこを分かち合い、そこを共に生きていく……

 

その道しか、残されていないんです。

 

 

 

その道は、そのまま、光の道です。

 

私は、その光を、確かにこの目で見ました。

 

こころが、からだが、光の洪水にひたされるのを、確かに感じました。

 

私だけじゃない。あの夜、あの空間にいた人たちは、きっと、等しく同じ光に包まれていたはずです。

 

私は、どこかやさしく、懐かしく、とてつもなくうつくしいあの光を、まるごと信じています。

 

 

 

「はじまっていく」ことを強く感じています。

 

いや、すでに、それは「はじまっています」。

 

 

 

ずっとずっと、静かに興奮しています。

 

浮ついた興奮なんかじゃなくて、おなかの底から湧き上がる「なにか」に突き動かされて、私は、いま、ここを、生きているような気がします。

 

たのしいです。

 

 

 

 

 

 

 

……って、なんか、これじゃまるで「“アヤしげ”な宗教にハマったヤバい人」の文章ですね。笑

 

でも、違うんです。

 

私たちがやろうとしているのは、「宗教」を超えたところにある、まったくあたらしいタイプの「対話」の場をつくり出すことです。

 

詳細、早く告知したい。うずうずしています。笑

 

 

 

やろうとしていることの大きさに比して、私個人のできることの範囲の小ささに愕然とすることもありますが、それだって人間側の勝手な感慨ですよね。自然はただただ「そのようにある」だけ。

 

力を抜いて、運ばれていこうと思います。