いのちが私を生きている

2017年3月29日

おはようございます。小出遥子です。

ここ最近、私、もう、とにかく眠くて眠くて。
昨日なんか、もう、ほんとうに眠気のピークで。
一日3回も昼寝したのに、ぜんぜん眠気が取れなくて。

春だから? 新月周辺だから? 身体のバイオリズム的なあれ?

「精神の変わり目なんだよ」と言ってくれる友人もいるけれど、
私はいつだって変化の真っただ中にいるしなあ(笑)。

うーん……謎。
とにかく、眠い。

みなさんはどうですか?

ということで、今日は4時に目覚まし時計をセットしていたものの
起き上がることができず、ちゃんと目を覚ましたのは6時でした。

情けなし……。

でも、人間、そういうときもありますよね。
できるだけあらがわずに、流れに身を任せていよう。

しかし、まあ、「生きる」ってすごいことだなあ、と思うんです。
(って、唐突に話が壮大に……!!!)

どんなに眠くても、目が覚めるときには目が覚める。
これが、まず、すごい。

だって私は「目を覚まそう」と思って目を覚ましていないですから。

「目を覚まそう」と思って目を覚ますんだったら、
そう思った時点で、私、すでに目を覚ましているっていうことになりますよね(笑)。

「目を覚まそう」と思うまでもなく、ごくごく自然に、
目を覚ますということが起きてくる。

そこに自分の意志は一切関与していません。

目が覚めた瞬間のこともすごいです。

目を覚ましたら、その瞬間、「見よう」と思うより前に、
すでに、目が、朝の光をキャッチしている。

目を覚ましたら、その瞬間、「聞こう」と思うより前に、
すでに、耳が、カラスやスズメの鳴き声をキャッチしている。

すべては、完全、完璧に、自動的に起こっている。
そこに自分の意志は一切関与していません。

これってものすごいことだと思いませんか?

「生きよう」と思うより前に、生きるということが起こっている……。

生命の神秘を感じるのに、
巨大な天体望遠鏡も、精密な顕微鏡も必要ありません。

いまここで、こうして、いのちが生きていること。
こんなに神秘的なことって、ないです。

なんてことを書きながら、ふたたび眠気に襲われる私……。
眠気という名のいのちが、私を生きている……。

朝寝しようかしら……。

よい一日をお過ごしください◎

 

【4/22(土)】Temple@髙願寺

[DATE]
2017年4月22日(土)
13:30~15:30(受付13:00~)
[PLACE]
髙願寺至心学舎

「二階堂和美さんとの対話/いのちの記憶はのこり続ける」
という記事をベースとした、いのちの対話の集いです。
ふるってご参加くださいませ!