「出す」ことの効用

2014年12月9日

先日、高校時代の友人2人と集まったのだが、そのときに、

 

「お酒やめたってホント!? 来世まで飲まないってどういうこと!?」

 

と、小一時間ばかり問い詰められた。2人とも、終始、「信じられない……! あの小出が……!」といったような表情をしていた。「なんで? なんで? なんで?」の声が空間中に響き渡っていた。

 

私が、過去、いかに酒飲みキャラであったかがバレてしまうようなエピソードではあるのだが、

 

その際、私は、ものすごく「さらーっ」と、

 

「私、あたらしいこと始めたからさ。古いこと、ひとつぐらいやめないと。」

 

なんてことを答えていたのだ。

 

ほとんど、口をついて出た感じだった。しかも、めちゃめちゃ落ち着いて答えていた。

 

で、答えながら、「すとん」と腑に落ちるものを感じていたのだった。

 

「そうか。だから私はお酒をやめたんだ……。」

 

私は、知らず知らずのうちに、自身の人生の代謝を促していたのだった。言葉にして、自分自身、はじめて納得できた感じだった。

 

 

インプット過剰な時代だ。現代人のほとんどが、ネットやスマホ中毒みたいになって、いつだって情報過多気味で暮らしているし、体調が悪くなればほとんどなにも考えないままに薬をからだに入れるし、体質改善と言ったって、たとえば「花粉症にはヨーグルトが効くらしい!」とか、「朝にバナナを食べると痩せやすくなるらしい!」とか、やはり、どうしたって、なにかを「入れる」方面に走りがちだ。

 

これね、やっぱり、なにか「違うんじゃないかなあ……?」って思うのですよね。

 

 

 

呼吸は、「呼」=「吐いて」、「吸」=「吸う」、この順番なんだよ、「吐く」方が先なんだ、「吸う」ことは考えないで、まずは「吐く」んだ、というのは、私が通っていた呼吸教室の先生、加藤俊朗さんの教えだが、これ、本当に大事なことだと思う。

 

まずは「出す」。それから「入れる」。

 

出すもの出さないと、なにかがあたらしく入ってくる余地がなくなってしまうのね。

 

 

 

「出す」と言えば。私は今年、2回ほど72時間の断食を行ったが、この断食のあと、2回とも、私は、「人生が大きく動く」ような出来事を経験した。もちろん、「良い風に」である。

 

単なる偶然かもしれないけれど、断食によって、「入れる」ことをストップして、さらに断食中の浄化作用でいろんなものをじゃんじゃん「出し」て(汚くてすみません)、自分自身が「からっぽ」に近い状態になったから、あたらしい素敵ななにか、しかも自分が望む以上のものがやってきてくれたのかな、なんていう風に思っている。

 

たぶん、「断捨離で人生変わった!」っていうのも同じ原理なのだと思う。

 

 

 

あと、お寺や神社で「いのり」を捧げる、というのも、きっと、同じ系列の話なんじゃないかな、と思っている。

 

「仏さまや神さまにぜんぶあずけた。ぜんぶおまかせした。だから、自分はもう、心配しなくて大丈夫。」

 

そうやって自分というものを手放して、からっぽにできるところこそが、「いのり」の効用なんじゃないかなあ。

 

 

 

自分が「からっぽ」になりさえすれば、ことは自然と「起きていく」のだと思う。そうして、「運ばれていく」ようになるのだと思う。

 

どこへ?

 

想像もつかないほどに、「いいところ」へ、です。

 

 

 

たぶん、この世は、そういう風にできている。

 

 

 

 

 

 

「入れたい」のなら、先に「出す」こと。

 

この順番さえ忘れなければ、大丈夫。