先に差し出す。

2014年12月10日

夏目:友人も恋人もいて、でも、満たされていないと思ってしまう。「こんなにやってあげてるのに、ぜんぜん見返りがない」と思うタイプの人って、いますよね。「ほしい、ほしい」「足りない、足りない」といっていると、からだも「足りない」と思ってしまうんですよ。でも、まず、自分から愛を与えてみるんです。そうすると、からだは外に与えるものがあるわけだから、「愛が足りている」と解釈する。そうすると、依存になりにくいんです。

 

(マーマーマガジン17号 夏目祭子さんインタビュー「聖なる性のはなし」より)

 

 

 

 

 

 

 

まずは「出す」。それから「入れる」。出すもの出さないと、なにかがあたらしく入ってくる余地がなくなってしまうよ。そして、そうやって「出した」あとに「入って」くるのは、想像もつかないほど良いものだったりするのよね~。

 

といったようなことを昨日の記事で書いたところ、ある方からこんな感想をいただいた。

 

「先に出す、というのは人との関係とかにおいてもそうだよね」

 

そう! そうなの! 本当に、まったくその通りで。

 

 

 

良き人間関係の基本は、「先に差し出す」ことなのだなあ、と気づいたのは、まあ最近のことなのだけれど、でも、その気づきによって、私自身、生きることがとても楽になった。

 

だって、ぜんぶ自分次第なんだもの。

 

自分さえ変われば、周りの景色は変わるのだ。

 

これってめちゃめちゃ「救い」になる。

 

 

 

相手にやさしくして欲しかったら、まずは自分がやさしさを差し出すこと。

 

相手に笑って欲しかったら、まずは自分から笑ってしまうこと。

 

ただし、「見返り」は過剰に求めずに。

 

ただただ、「自分がやりたいからこうしているのだ」というところから、粛々と「行動」すること。

 

 

 

相手がやさしくしてくれるのを待つだけで、自分からはなにも動かなかったり……

 

相手が先に笑うのを待つだけで、自分は仏頂面のままだったり……

 

 

 

そんなことばっかりやっていちゃあ、いつまで経っても自分の望む人間関係はやってこない。

 

だって目の前の相手は、いつだって自分の鏡だから。

 

「欲しい、欲しい」「足りない、足りない」ばかり言って、自分からはなんにも動かないままでいると、いつまで経ってもその状況から抜け出せないのだ。

 

 

 

「自分の中にはなにもない」「だからなにも与えられない」なんて、はっきり言って甘え以外のなにものでもないです。

 

だって実際、そんなことあるわけないんだもの。

 

「与えよう」と決意さえすれば、自分の中からつきることなく湧き上がるなにかの存在をいつだって感じることができる。

 

その「なにか」の正体は、「愛」です。

 

 

 

「愛」こそが自分たちの正体だったのだ、という真実に対する気づきは、人のこころをびっくりするほどあたためます。

 

「愛」は誰かからもらうものではなく、そもそも自分の中にあるものだったのだ!

 

しかも、汲んでも汲んでもつきることなく湧き上がってくるものなのだ!

 

そう実感することさえできれば、もう、自分が自分でいるだけで、「愛」に満たされつづけたまま、生きていけるのです。

 

 

 

そのためには、まずは「差し出す」こと。

 

自分の中に「愛」を見失っている状態でも、それでも一回「差し出してみよう」と決意すること。

 

そうして、それを「行動」に移すこと。

 

 

 

そこからしか、はじまっていかないのだと思います。

 

 

 

ぜったいに、できます。

 

大丈夫です。

 

 

 

 

 

 

 

今日も、にっこり。できるだけ、やさしく。

 

 

 

 

いってらっしゃい。良い一日を。