「やりたいこと」より「得意なこと」を。

2014年12月12日

昨日の夜、友人の恋愛相談に乗っていたのだが、すっかり自信を失ってやせて弱々しくなってしまった彼女を見て、心を痛めつつ、「問題は外側にあるわけじゃないのだよな……」なんて、生意気にも思ってしまった。

 

いや、問題は、表面上は、「彼氏が~!」とか「その元カノが~!」というカタチをとって現れているのだが、本質は実はそこにはなくて……。

 

なんというか、「その問題を“問題”と認定してしまう彼女の内面にこそ、向き合うべき問題が潜んでいるのだよな……」と。

 

実際、第三者の私から見て、彼女が「問題」としている「そこ」に、大きな問題らしきものは見当たらないのだ。でも、彼女の弱さが、それに「問題フレーバー」をふりかけてしまっている。

 

それは彼女自身、重々承知のようだったが、でもいかんせん自分というものの軸がブレブレになってしまっていて、「自分がなにをしたいのか、いったいどうしたらいいのか、もうまったくわからない」と。

 

本来、ものすごく可愛くて、ものすごくお洒落で、ものすごくユーモアがあって、ものすごくやさしくて、ものすごく才能もあって、ものすごくキラキラとしたものを持つ、本当に本当に、ただそこにいるだけで、ものすごく魅力的な女性であるはずの彼女が、よわよわのへろへろのぐしゃぐしゃになっているのを見るのは、私にも、随分とつらいものがあった。一刻も早く、彼女自身に自信が、もっと言えば軸が、戻ってきますよう……と、ひっそりと祈ることしかできなかった。

 

 

 

人は、本当に、自分のやりたいことをやるのがいいし、やりたくないことはできるだけやらない方がいいと思う。それさえ守っていれば、たいていの人間は元気でいられるはずなのだ。

 

だけど、人ってやつは、弱気の虫に襲われているときは、彼女みたいに「自分がなにをしたいのか、もうまったくわからない」という状態になって、どういうわけか、本来の自分の性質から見れば、どう考えたって「やりたくないこと」の方に突っ走ってしまう生き物であるらしい。

 

むしろ、「やりたくないこと」こそを「やりたいこと」と勘違いしてしまうことだって、そういう状況では多々生まれるものであり……。

 

恐ろしい話だ……。

 

だけど、こういうこと、私が見る限り、いろんな場面で、ものすごくよく起こっている。自分自身を顧みてもそれは言える。

 

人間って弱いのね~……。

 

 

 

そもそも元気を失っているときは、「やりたいこと」を基準にものを考えると、実は余計にとっちらかってしまう。なので、そういうときは、「やりたいこと」を考えることはとりあえずやめておいて(つまり「問題」についての思考を一時ストップしておいて)、自分自身の「得意なこと」を基準に行動を選択するといいと思う。

 

そこには必ず自分の軸があるはずだから。

 

 

 

その場合のポイントは、収入になるとかならないとかはとりあえず無視して、とにかく無心に目の前のことに打ち込むこと。

 

得意なことを突き詰めてやっていけば、周りもよろこんでくれるし、自分もいきいきとしてくる。そうしていくうちに、「得意なこと」=「やりたいこと」になっていく。こうなったらもう完全にしめたもので。

 

不思議なことに、この状態にまで自分を持ち込むことができれば、いままで「問題」だと思っていたものも、いつのまにやら超簡単に解決していたりする。

 

問題を「問題」と見ていた自分自身が根本的に変わるのだから、当然と言えば当然な話なのだが。

 

 

 

すべての問題は、問題の表面をいじってどうこうなるようなものではないのかもしれない。

 

問題を「問題」と見てしまう自分から脱出すれば、当然「問題」は消えてなくなる。

 

そのために、人は、まずは「自分の得意なこと」をするのがいいのだと思う。

 

「得意なこと」をやって、軸を自分自身に取り戻せば、人はいつだって内側から光を放って、力強く生きていけるのだと思う。

 

 

 

……ってね、悩みの真っただ中にいる人には、この声も届かなかったりするのだけれど。

 

でも、ふとした瞬間にでも、「そういや小出があんなこと言ってたな……」と思い出してくれたらいいな、と思って書きました。

 

 

 

全体的になんか偉そうですみません……!