「信じよう、期待は少なく」

2014年12月19日

先日、都心のデパートでなにげなく福引きをやったら、結構な額の商品券を当ててしまいました……。いままでクジ運というものとはほとんど無縁な人生だったので、えらく驚きました。

 

勝因は、たぶん、そのとき私が、な~んにも、本当にまったく、一切、これっぽっちも、なにかを当てることを期待していなかったこと。

 

お店で服を買ったら「抽選会やってます~もしよろしかったら~」と福引きの券を渡されて、いや~興味ないわ~、と思って、「次の方にプレゼントしてください~」と返そうとしたけれど、ふいに、次の予定まで少しばかり時間があることを思い出し、それならば、と素直に受け取って、そのままぼへ~っとした顔で抽選会場まで向かって、なにが当たるのかも知らないままに、なにげな~くクジを引いた、ら! 「おめでとうございます!!!」カランカラ~ン♪ ですよ……。びっくりするやら恥ずかしいやら……。

 

満面の笑みを浮かべたスタッフの方から賞品を受け取りつつ、

 

「期待のないところにいいことは起こる」

 

って、そう言えば人生の基本法則だったわ……と思い出しました。

 

(ちなみにその商品券で、ふだんは自分では選ばないような、ちょっと高めのお菓子を買いました。友人たちに配って、みんなで美味しくいただきました。しあわせな時間でした。クジやって良かった!)

 

 

 

大学時代、毎年、夏と冬に4~5回ずつぐらい、銀座にあることが信じられないような、薄暗くあか抜けないショッピングセンター(あれは断じてデパートなんかではない)にて、福引きのおねえさんをやっていました。日雇いのバイトで。

 

日がな一日、福引き会場にて人々の様子を眺めていると、「当たる人」と「当たらない人」、それぞれに共通した特徴っていうのが、否が応でも見えてきます。最後の方になると、クジを引く前から結果がわかっちゃったりします。

 

 

 

ひとことであらわせば……

 

「当たらない人」っていうのは、ギラギラしています。

 

「当たる人」っていうのは、ぼや~っとしています。

 

そこに過剰な「期待」があるかないかの違いですね。

 

 

 

期待感が全身からダダ漏れしちゃっているような人っていうのは、たとえ30回クジを引いても、「はい、ぜんぶ残念賞の入浴剤です~。1か月毎日温泉気分が楽しめますね☆」ってなことになってしまうし、

 

逆に、「この券で福引きできるんですか……? あ、そうなんですか……。じゃあ、はい、やってみます……」みたいな感じで、ぼや~っとした表情のまま1回だけクジを引いた人が、なんと、1本しか入っていない特賞を当ててしまったりするんですね~。

 

 

 

これ、なにもクジに限った話ではなくて、日常生活の上でもばっちり当てはまりますよね。

 

モテたい! モテたい! と鼻息荒くギラギラと頑張ってしまう人が、それゆえに異性から敬遠されたり……

 

連絡来い! 連絡来い! とギラギラと念を飛ばしているうちは、欲しい便りは決して届かなかったり……

 

めちゃめちゃよくある話です。

 

 

 

やっぱり、いいことっていうのは、どこか「すきま」がないとやってこられないものなのですね。

 

「こうあるべき!」「こうあって欲しい!」と力みまくって手のひらをグーにしているうちは、文字通り、なにも手に入らない。

 

「なんでもいいよ~」「どうだっていいよ~」と力を抜いて手のひらをパーにしていると、思いもよらない素敵なものが、ふわっと乗っかってきたりする。

 

たぶん、これ、なにに対しても言えることだと思う。

 

 

 

そうは言っても「期待しない」っていうのはなかなか難しいことなんですけどね……。

 

でも、まあ、まったく期待しないことは無理でも、その分量を少なくすることならできるかも。「期待」をしそうになったら、ただただ目の前のことに淡々と取り組むこと。「行動」しているうちは、「期待」は顔を出せないから。「期待」を「行動」に変えて、とはよく聞くことだけれど、これは本物の知恵だと思います。

 

あとは、まあ、ひたすらに「信じる」ことかな。素敵な未来をありありと心の中に思い描いて、「あ、これは必ず叶うな!」と確信できたら、もう、その瞬間に、期待を天に預けてしまう。あとはもう、ゆったりとした気持ちで、好きなことだけをして信じて待つ。「信じよう、期待は少なく」と椎名林檎女史も唄っておられます。(「〇地点から」という曲です。名曲!)

 

 

 

なんとなく、そんなことを思いました。

 

って、自分に言い聞かせている部分もあるんですけどね……!(情けなし!)