泥にこそ花咲く。

2014年12月20日

先日、ある方と、

 

「自分の中に泥があることに気づかなきゃ、蓮の花が咲くこともない。まずは気づくことから、直視することから、なんだよね。」

 

なんて、「お前ら、どこの坊さんだ!」とツッコミを入れたくなるような、やけに説教くさい会話を楽しんでいたのですが(笑)でも、これって本当に大事な部分だと思うのですよね。

 

 

 

自分の中から泥としか言いようのないものがあふれ出てきたときは、「うげげ……」となって、思いっきり目をそらして、見なかったことにしてしまいたくなりますが、でも、実はそういうときこそ大チャンスなのだと思う。「ピンチはチャンス!」って、本当に本当なんだと思う。

 

 

 

聖書にもありますよね。

 

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」(マタイによる福音書5章3節)

 

真実の言葉だな、と思います。

 

 

 

どうしてこんなことになったのか。なぜ、自分は、いま、このような苦しみを味わっているのか。

 

逃げずに向き合い切った人にこそ、祝福は訪れるのだと思う。

 

 

 

 

 

……って言うのもですね、私も数年前、人生のどん底ってやつを経験したんですよ。なにがあったのかを詳しく書くことはしませんが、ま~~~とにかくひどかったんです。いろんなことが同時多発的に「これでもか! これでもか!」とばかりに私の身に降りかかったんです。毎日を生きていくのがやっと、という状態でした。いま考えてみても、あの時期を生きて乗り切ったことは、奇跡のように思えます。って不幸自慢っぽくて嫌になっちゃうけど、でも、まあ、客観的事実です。

 

 

 

最初のうちこそ、私も、「もう無理!」ってなって、「なんで私がこんな目に!」って、泣いて喚いて突っ伏して、「なんで! なんで! なんで!」って暴れに暴れまわって、まわりのやさしい人たちをも傷つけて、それによってさらに自分の心を傷つけて……そんなことばかりを繰り返し続けていたのですが……。

 

 

 

でもね、そんなある日、さすがに、もう、これじゃ埒があかない、と思ったんですね。逃げ続けても仕方がない。いいかげん、自分の「泥」と向き合わなきゃ、と。

 

 

 

自分はいままで、ぜんぶを他人に頼って生きてきた。逆に言えば、ぜんぶを他人のせいにして生きてきた。そんなつもりはなかったけれど、実際そうとしか言いようのない生き方をしてきてしまった。だからこそ、こんなひどいことになってしまったのだと。

 

どん底の、本当に底の底の底の方まで落ちて、ようやくそのことを認めることができたのでした。

 

 

 

それで、私、もう、いいかげん、自分の足で立って、自分の足で歩いていかなきゃ、と思ったんです。

 

 

 

そう決意したとき、「自灯明法灯明」を説く仏の教えが、びっくりするほど身にしみてきたんですね。

 

いや、前々から仏教関連の本はたくさん読んでいたのですが、でも、ここまで深く納得したことは一度もなかった。

 

仏教が言っていることは、ぜんぶ、ひとつ残らず、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ! 「本当」だと思った。

 

真実の光を見た気がしました。

 

 

 

ああ、このことを心の奥底から「知る」ために、私は、一度、自らの泥の中におぼれるという経験を選んだのか、と。というか「選ばされた」のか、と。

 

なんかね、すぅーっと、腑に落ちたんです。

 

まさに、地獄で仏にあった瞬間でした。

 

 

 

というかね……きっと、その「地獄」を作り出したのも、また、「仏」だったのだろうな、と。いまにして考えれば、そういう風に思うんです。地蔵菩薩と閻魔大王が実は同一人物であるように、すべては仏さまのお慈悲によるものだったのだろうな、と。

 

だって私、あんな苦しみでも味わわなきゃ、たぶん、いつまで経っても気づけなかった。いつまで経っても、自分の足で立てなかったし、歩けなかった。いつまで経っても、ぜんぶを他人のせいにして、ぶーすかぶーすか文句ばっかり言い続けて、生きている実感もないままに歳ばかりを重ねて、生きたという実感もないままに不満気な態度を垂れ流しながら死んでいったのだと思う。

 

つまり、あのままだったら、それこそ、一生、生き地獄だったと思うんです。

 

 

 

私、救っていただいたのだな、と。

 

本当の意味で、いのちを、救っていただいたのだな、と。

 

本気で、そう思いました。

 

いまでも、そう思っています。

 

 

 

 

 

いま、すべてがぜんぜんうまくいかなくて、つらくてつらくて死にそうだ、という方。決してそうは思えないかもしれないけれど、あなたは、いま、最大のチャンスを迎えているのだと思います。

 

つらくてつらくて、もう、ぜんぜんそれどころじゃないかもしれないけれど、でも、どうか、勇気を出して、いま目の前で起きていることと、そこから見えてくる自分の姿と、真正面から向き合ってみてください。

 

向き合った瞬間に、光は見えます。

 

すべては、大いなるものの「はからい」なのだと思います。

 

大丈夫です。

 

私が、保証します。

 

ぜったいに、大丈夫です。

 

 

 

 

 

小娘(とももう呼べないか。三十路だもんね。あはは。)にこんなこと言われたくないかもしれないけれど、でも、私、これからも言い続けます。

 

だって、生きて欲しいんだもん。

 

 

 

ただ、それだけです。