「仏教の人」も、クリスマスはお祝いします。

2014年12月24日

12月24日。クリスマスイブですね。みなさん、メリークリスマス! です。

 

 

 

……なんてことを書くと、「え、あんた、仏教の人なのに!」とか驚かれたりするのですが、コラコラ待てよ、と。なんで驚かれなきゃいけないのですか、と。

 

 

 

たしかに私は仏教が大好きです。でも、そのことと、キリスト教をはじめとする他宗教を排除する、ということはぜんぜんイコールじゃないと思うのですよ。

 

というか、むしろ逆でしょう、と。

 

「仏さま」という存在を自らの身に感じれば感じるほど、他の宗教の「神さま」をも身近に感じるようになるはずで。

 

もしそうならなかったとしたら、自分の信じている宗教自体を疑うか、もしくはそう思えない自分自身を疑った方がいいです。

 

って、ちょっと過激かな? でも、本当のことだと思います。

 

 

 

仏教だって、キリスト教だって、イスラム教だって、大元を辿って行けば、ぜったいに同じところに着くはずなんです。

 

だって、すべてのものは、元々「ひとつ」だったのだから。

 

というか、本当はいまでも「ひとつ」なんだけど、私たち人間が頭の中で勝手にそれをばらばらにしてしまっているだけで……。

 

 

 

とにかく、その大元のたったひとつの「なにか」……それは本当は決して言葉というものでは表せないものなのですが……それを仏教の言葉では「仏」(阿弥陀如来とか、大日如来とか)、キリスト教の言葉では「主」、イスラム教の言葉では「アラー」と呼んでいるに過ぎないのじゃないのかな。

 

 

 

元々は同じ「ひとつ」なのに、言葉の違いだけで争いを勃発させるだなんて、はっきり言ってナンセンスです。めーちゃめちゃナンセンス。超ダサいです!

 

小さな違いであーでもないこーでもないと争っている時点で、あなたの信じている「神さま」の名を貶めてしまっていることに気づいてください。

 

 

 

まともな「宗教」は、もっと言えばまともな「信心」は、ものごとをばらばらにするのではなく、「ひとつ」にまとめていくはずです。

 

「仏教は人を縛るものではなく、人を自由にしていくものだ」といったようなことを、お世話になっている方がおっしゃっていましたが、これ、「仏教」を「宗教」に変えてもいいですよね。

 

「宗教は人を縛るものではなく、人を自由にしていくものだ」。

 

宗教によって人々の自由が奪われるだなんて、あってはならないことだと思うのです。

 

 

 

 

 

ということで、仏教ファンである私だって、クリスマスはお祝いします。ケーキを買って食べるぐらいですが。

 

ケーキを食べたいだけなんじゃ……という説もありますが、まあそれも否定はしませんが(しないのか)、でもね、本当に、クリスマスって、「ひとつ」に思いを馳せる、とてもいい機会なんじゃないかな、と思います。

 

思い、馳せましょう。

 

 

 

 

 

メリークリスマス。

 

みなさん、良き日をお過ごしください。