「悔い改めよ」

2014年12月25日

ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。

「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

(ルカによる福音書17章20節―21節)

 

 

 

 

 

25日になると、もはや「本番終わった」感がすごいですよね……。でも、今日もクリスマスっぽいこと書きます。っていうか今日こそが「本番」だし……!

 

 

 

キリスト教って、なんだかやたらと「悔い改めよ」って言うイメージがありますよね。

 

これ、私も、長年、「説教くせ~」「うるせ~」とかって反発を覚えていたのですが、ふいに気づいたんです。

 

悔い改めるべきなのは、「食べ過ぎちゃった」とか、「意地悪しちゃった」とか、「浮気しちゃった」とか……そういう表面的な日々の生活の上でのあれこれなんかじゃなくて(もちろん、そういう部分もあるのでしょうけれど)、たぶん、もっと大きな視点的なものなのだと思う。

 

 

 

「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

つまり、外側になにかを求める自分を「悔い改めよ」ってことなんじゃないのかなあ。

 

 

 

人も、お金も、地位も、名声も……自分の「外側」にあるものは、すべて流れて移りゆきます。無常なものにしがみつこうとするから苦しみが生じるわけで。

 

もう、いい加減、そこにばかり価値を見出そうとするのはやめようよ、と。

 

無常の世にあって、決して流されない部分、私たちの存在の本質、唯一の「ほんとう」を探っていこうよ、と。

 

探るべきは、自分自身です。

 

 

 

自分というものに、真実、目を向けることができたら、その瞬間、その人は「神の国」の住人となっているでしょう。

 

 

 

「神の国」は、「いま」「ここ」にあります。

 

「いま」「ここ」で、私たちに見出されるのを待っています。

 

 

 

 

 

 

 

ふたたび、メリークリスマス。

 

善き日を。