自受用三昧(じじゅようざんまい)

2017年4月23日

おはようございます。小出遥子です。

昨日は川崎の髙願寺さんでのTempleでした。
いままでTempleは10回以上やっているのですが
(多分。すみません、主催者なのに細かい回数を覚えていなくて……)
昨日はいままででもっとも少ない参加人数での開催でした。
でも、その分、常にも増してアットホームな
空間になったんじゃないかな、と思っています。
ご参加のみなさん、ほんとうにありがとうございました。

最近よく感じるのが、

人生、起こることはすべて完璧だし、
起こらないこともすべて完璧だ。

……ということ。

これね、ほんとうに、なんの強がりも力みもなく、
ただ、しみじみと、そう感じるのです。

3月終わりから4月の頭にかけて、私、仕事のことで、
かなり感情を高ぶらせていたんです。
良くも、悪くも。
というか、どちらかと言えば「悪い」意味で。

そこで、相当精神エネルギーを消耗したのでしょうね、
その仕事が終わった瞬間から、私、完全な凪状態に突入してしまい……。

なんというか、ここ最近の私、なににおいても
「(過剰に)求める」ということがなくなっているんですよね。

ただ、そこに「ある」もの、そして「ない」ものを、
ありのまま、そのままに受け取って、
それ以上、もしくは以下を「求める」ということがない。

たとえば、誰かに連絡を取りたいな、と思ってメッセージを送ったとします。
で、そのあと、相手から返事が来ても来なくてもどちらでもいいんです。
来たら来たでうれしいし、
来ないなら来ないでその経験をそのまま受け取ってオシマイ。以上。
……という感じ。
その場その場の経験が、その瞬間その瞬間で完全に完結している。
だから、すべてが完璧なんです。

感情が消えてなくなってしまったわけじゃないんです。
むしろ、こころが震える瞬間は、以前に比べて格段に増えている。

余計なところにエネルギーを使わなくなったから、
いままで気づかなかったような道端の花のうつくしさとか、
雨上がりの世界が発散する香りとかにはっとさせられるようになって、
そのいちいちに静かに感動している……という感じかなあ。

なんなんでしょうね、これ(笑)。

一時的なものかもしれないけれど、
でも、なんか、いま、しみじみと、たのしいです。
生きること、そのものが。

いつだったか、私の師匠のひとりである曹洞宗の藤田一照さんに、
「自受用三昧(じじゅようざんまい)」ということばを教えていただきました。
完全に、いまあるもので満たされている状態を指すらしいです。
手も足も組んでじっとしている坐禅の姿勢は、
それをもっともピュアに表現したものなんですって。

不遜かもしれないけれど、「わかるなあ」と……。

ここで言う「いまあるもの」の中には、
きっと、「いま“ない”もの」も含まれている。

「ある」も「ない」も、すべてが完璧。
なぜなら、すでにそのようになっているのだから。

これ以上、もしくは以下を求めるから苦しくなってしまう。
そして、その「苦しさ」さえも、完璧で……。

なんというか、世界と和解できた感じがしています。いま。

世界は、今日も、うつくしいです。

よい一日をお過ごしください◎

 

5月30日(火)の夜に、神谷町光明寺にてTempleを開催します。
プラユキ・ナラテボーさんもご参加くださいます!
すでにかなり定員が埋まっておりますので、
ご参加をご希望の方はお早目にお申し込みくださいませ。

http://temple-web.net/event/58/