「仲間」というもの。

2014年12月27日

私はずっと、「仲間」が欲しかったのでした。「友達」ではなく、「仲間」が。

 

「仲間」と言っても、「徒党を組む」とかそういう方向のものではなくて、むしろ真逆で。

 

それぞれが、それぞれの人生を、自分の足で、力強く歩んでいく。そのために必要な存在。

 

それが、私にとっての、「仲間」です。

 

でも、実際に「仲間」に出会うまでは、私は、自分がそういった存在を涙が出るほどに切望していたことも知らずに生きていたのでした。

 

 

 

出会った瞬間、こころが、たましいが震えて、「はじめまして」より先に、「会いたかったです」が口をついて出てきてしまうような、初対面なのに、どこか懐かしいような気分になってしまうような、思わず「おひさしぶりです!」なんてことを言ってしまいたくなるような……

 

2014年は、そんな相手との出会いに満ちた年でした。

 

記念すべき年でした。

 

 

 

私が毎朝早起きをしてこのブログを書いているのは、第一に、「共有したい」から。

 

「“ほんとうのこと”を共有したい」

 

まずは、その強い気持ちからスタートしています。

 

これはいわば公的な理由。

 

 

 

でも、もうひとつ、私的な理由があって。

 

「まだ見ぬ仲間に出会いたい」

 

これが、実は、このブログの根底に流れていたのでした。

 

 

 

「ほんとうのこと」を書き続けていたら、いつか「ほんとうのこと」を奥底から分かち合える仲間に出会えるだろう。

 

そんな風に言葉として考えたことはなかったけれど、でも、無意識のうちに、私はその理由にこそ突き動かされて、毎朝毎朝PCに向かっていた……らしいのです。って、他人事みたいだけど。

 

最近になって、明確に、気づいたのでした。

 

 

 

実際、このブログを開始してから、私は、ごくごく自然な方法で、「仲間」たちへとつながる縁を辿っていくことができるようになりました。

 

私が、勇気を出して「私」を表現しはじめたら、そしてそれを継続していたら、会いたかった人たちに会えるようになっていったのです。

 

声をあげなかったら、決して出会えなかった大切な人たち。

 

毎日の小さな勇気の積み重ねが、大きな出会いというギフトにつながっていったのでした。

 

 

 

「仲間」は、目を見て、ひとこと言葉を交わしただけで、それと分かります。

 

「ずっとずっと、会いたかった人だ」

 

その直感が、全身を貫くようにして走り抜けます。

 

 

 

私の「仲間」は、「いのち」というものに立脚して生きている人たちです。

 

同じ地点から、いまを、そしてこれからを、ともに見つめ、生きていくことができる人たちです。

 

 

 

「仲間」との会話は、いつでも、まるで答え合わせのようです。

 

「この方向で大丈夫だね。それぞれの場所で、生きて、動いて、役割を果たしていきましょう。」

 

実際にそう言い交わしたことはないけれど、でも、「仲間」との会合の帰り道は、いつだっておなかのあたりからぽかぽかとしたものが全身に広がっていき、自然とそんな風に思えるのです。

 

そうして何度も思います。

 

「出会えてよかった」

 

しみじみと、噛みしめるように、思います。

 

私は、しあわせです。

 

 

 

 

 

「あなた」に出会えてうれしいです。

 

心から、ありがとう。

 

これからも、ともに、「いのち」を生きていきましょう。