「恥ずかしい」を超えていけ!

2014年12月31日

「超えていく」というのが、これからの時代の大きなキーワードになっていくと思います。

 

私たち、いろんなものを超えていかなくてはいけない。

 

ちっちゃな「違い」や、ちっちゃな「自分」。

 

それらを超えたところに、どこまでもどこまでも果てしなく広がっていく、とてつもなくうつくしい世界――

 

私は、その世界に生きていたいです。

 

そして、すべての人が、ひとしくそんな世界に生きる日を、心から望んでいます。

 

 

 

 

 

さて。突然ですが、私は、今年、はっきり言って、ものすごく頑張りました。

 

自分で言うのも野暮な話なのですが、でも、実際、頑張ったんだもん。

 

「自分」を超えるために、頑張ったのです。

 

 

 

「自分」を超えるために一番有効だったのは、ずばり、「ものすごく恥ずかしいことをする」ということでした。

 

しかも、継続的に。

 

 

 

本当は、私、ものすごく小心者のビビリなんです。

 

いつだって人目が気になって仕方がない。

 

人の顔色をうかがってばかりの人生です。

 

「評価」だって、ものすごく気になります。

 

モジモジモジ子なんです、本当は。私。

 

 

 

そんなモジ子な私が、「こんな」(笑)ブログを毎日毎日書いているんです。

 

「はじめまして。小出遥子と申します。」なんて言って、顔写真もばばん! と載せて、毎日毎日「自分」のことばかりを、これでもか! これでもか! と書き続けて……。

 

恥ずかしくないわけがないんです。

 

 

 

「文筆家」と名乗るのだって恥ずかしいし、どこかの媒体に私の書いたものを載せてもらうのも恥ずかしい。人と会って自分のことを話すのだって恥ずかしいし、イベントをするのだって恥ずかしい。

 

いつだって、私、自分が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないんです。

 

恥ずかしくない時の方がめずらしいぐらい、「恥の多い人生」なんです。

 

いや、恥(を感じること)の多い人生というべきか。

 

 

 

でも、「恥ずかしい恥ずかしい」ばっかり言っててもなにも変わらなくて。

 

「恥ずかしい」という波動は、怒りや妬みよりももっと低いものだと聞いたことがあります。

 

ものすごく、よく分かる気がします。

 

だって、「恥」という感情は、人を行動から遠ざけてしまうから。

 

 

 

私は、変わりたかった。

 

私は、「自分」を、超えたかった。

 

 

 

「超えたい」のなら、動かなきゃいけない。

 

「動きたい」のなら、恥を捨てなきゃいけない。

 

「恥を捨てたい」のなら……

 

「恥ずかしいこと」を、どんどんやっていかなきゃいけない。

 

 

 

私、本当に頑張りました。

 

頑張って、超えて、また頑張って、また超えて……

 

気づけば、私、かつてないほどに見晴らしの良い場所に立っていました。

 

超えていくことができた私に、大満足です。

 

 

 

「恥ずかしい」という感情が消えてなくなったわけではないです。

 

たぶん、私が小出遥子でいる限り、それはずっとずっと付きまとうものだと思う。

 

 

 

でも、超えていけるんだものね。

 

いつだって、超えていけば良いだけです。

 

 

 

 

 

 

 

来年は、もっともっと恥ずかしいことをしていこう。

 

もっともっと、超えていこう。

 

私は、私を、超えていこう。

 

 

 

そんな風に、固く、そしてやわらかく、決意しています。

 

 

 

 

 

 

 

2014年、このブログをお読みくださったすべてのみなさまに、心からの感謝を捧げます。

 

ありがとうございました。

 

みなさま、どうか、良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

 

二〇一四年大晦日 小出遥子