願いごとの叶え方 ―人事を尽くして天命を待つ―

2014年5月31日

先日、大学時代の友人たちと集まって飲んでいたのだが、そのうちの一人がグラスを傾けながら声も高らかに宣言した。

 

「私、絶対に、今年中に、両家顔合わせまで持っていくから!」

 

ちなみに彼女、いま現在、実際に、将来を誓った恋人がいるわけではない。というか恋人自体がいない。恋人候補と出会っているわけでもない。すべては「これから」のお話である。彼女は続ける。

 

「そのためにね、私いま、合コン行きまくってるの! 6月はすでに4回予定入れてるんだ! 東京大神宮に参拝している暇があったら、ひとつでも多く合コン行かなきゃ!」

 

ぎゃはは、必死だな~! がんばれがんばれ~、とはやし立てながら、しかし、私は彼女の様子を見ていて思ったのだった。こりゃあぜったいに大丈夫だわ、この子なら現実にするわ、リアルに両家顔合わせまで持って行っちゃうわ、と。

 

だって彼女にはまったく悲壮な様子が感じられないのだ。それどころか、彼女は、めちゃめちゃ明るいオーラを放っていたのだ。そして、決定打は次の一言。

 

「別に合コンで彼氏ができるなんてこれっぽっちも思ってないよ! でもさ、できる限りのことやっとかなきゃさ、自分が納得しないじゃん! 自分が納得して、もういいやってなったときに、はじめて相手が現れるような気がするんだよね~。」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、純白のドレスに身を包んだ彼女の姿が、めちゃめちゃリアルに思い浮かんだのだった。ああ、もう、こりゃ確定だわ……! この子、すごいわ……! 夢、叶えるわ……! そう思った。私のこういう勘は、ものすごく良く当たるのだ。

 

「絶対叶うよ!」

身を乗り出してそう伝えると、彼女は返した。

「私もそう思うの!」

彼女の笑顔は、すでにその夢を叶えた人のそれのように、キラキラと眩しく光り輝いていた。彼女の背後に気高く美しいバラの花々が見えた。

 

と同時に、願望実現の法則が見えた気がした。

 

 

 

よく、ソッチ系の本(ええ、もちろん、大好きです……)などに、「願いは忘れた頃に叶うものです!」とか「願望実現のヒケツは、その願いを手放してしまうこと!」とかいったようなことが書いてあるが、そう簡単に願いを忘れたり手放したりすることができるなら苦労はしないのである。どーーーしても叶えたいことは、どーーーしたって叶えたいことなのであり、その願いを忘れることなんて、無理無理無理無理! なのである。片時だって忘れることなんかできっこないのである。

 

……が、冷静になって思い返してみたら、なるほど、私自身、大きな夢が叶うのは、願っていること自体を忘れかけていたようなときが多かったような気がする。「やり切った~」という気分になっているとき、というべきか。「やり切ったから、もうそれだけで楽しかったから、結果はもうどうでもいいや~あはは」といいう気分になってはじめて、大きな夢は自分のもとにやってきてくれた。そう、「結果」を手放したときに、夢は叶ってきたのだ。昔っから良く言われる「人事を尽くして天命を待つ」って、こういう意味のことなんじゃないだろうか。

 

「願い」を手放す、などと表現するから、「はあ? そんなん無理に決まってんじゃん! わけわかんないこと言わないでよねっ!」となるのであって、「結果」を手放す、とすれば対処法は見えてくる。単純に、「やり切」れば良いのである。やってやってやって、やっている「いま」しか見えなくなったら、その瞬間、かちかちに力んでいた心と身体が一気にゆるむ。「結果」(未来)を手放すまい、と、ぎゅっと握っていた手のひらがふわっと開かれる。そこではじめて、手のひらの上に載せられるのが、「結果」と呼ばれるものなのだ。自分自身の経験を振り返っても、これはどうやら真実であるらしい。

 

手放さなきゃ入ってこない。だけど、手放すためには、一度「やり切る」ことをしなくてはならない。じたばたすることも必要なのだ。あがくことも大事なのだ。その「苦しい」「悔しい」「悲しい」過程をもひっくるめて、やり切っている「いま」が、心の底から「楽しい!」と思えたら、その瞬間に勝利はやってくる。こうやって夢は叶うのだ。「楽しさ」はいつだって「いま」にあり、夢もいつだって「いま」にあって、そしてそれはいつだって「いま」叶うものなのだから。

 

「いま」に徹すること。

これが夢を叶える唯一の道なのだ。

 

 

 

……ってこんな記事書いちゃったんだから、彼女にはぜったいに「今年中に両家顔合わせ」までいってもらわなきゃ困るのだ! Mちゃんよ。合コンとかいろいろ、やってやってやってやり切ってね~。そうして純白のドレス姿、来年にはこの目で拝ませてね~!