羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

2015年1月2日

目をつぶって、2015年のことを、もっと言えばこれからの世界のことを思ってみたら、

 

「調和」「ひとつ」「融け合う」

 

というキーワードが出てきました。

 

って、この3つ、結局ぜんぶ同じことを言っているのですが。笑

 

 

 

イメージの中のこれからの世界は、とてつもなくうつくしく、やさしかった。不安感、孤独感の一切ない世界だった。

 

「私の方が!」「俺が一番!」といった競争の時代は、もう死にかけているのだな、と思いました。

 

「みんなでひとつ」の時代がやってきています。気取った美辞麗句とか中身のない標語的な意味じゃなくてね。

 

 

 

般若心経の最後のところ、

 

「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」の部分ですね、

 

ここを、

 

「行こう行こう、さあ行こう、さあみんなで一緒に行こう、あの悟りの境地へ」

 

と訳すのは、割とメジャーな解釈のようですが(市販の解説本を見ると、たいていこんな感じで訳されています)、

 

これね、なんか、いいですよね。

 

ってざっくり言い過ぎたけど、でも、いいですよね、「みんなで」って。

 

 

 

「みんなで」と言っても、あれですよ、たとえばトップ的な人に、軍隊方式に、ほとんど力づくで「ああしろ」「こうしろ」と指示されて、その人の思う「あるべき世界」を、まあ言わば「押し付けられる」ようなかたちで、渋々、嫌々、ため息をつきながら、心身に鞭打って、無理やりに「みんなで」「力を合わせて」実現していく……

 

とか、じゃ、ない!!! です! ぜんぜん違う!

 

そのやり方は、もう、古い。

 

っていうか、それって、実はぜんぜん「みんなで」やっていない。

 

「力を合わせる」なんてことが、できようはずがない。

 

 

 

これからは、みんなが、自分たちがそもそも「ひとつ」であったことを思い出して、そこから行動していく時代なのだと思います。

 

「ひとつ」“に”「なる」のではなくて、そもそも自分たちは、「ひとつ」“で”「ある」。

 

そこを基準に歩んでいく。

 

そこにこそ、本物の「調和」があるんじゃないかな。

 

 

 

ほんとうは、すべてでひとつ。

 

そして、ひとつですべて。

 

これは究極的な真実です。

 

 

 

だけど、私たちには個別の肉体が与えられています。

 

それぞれに個性を持って存在しています。

 

それは決して否定されるべきものではなくて。

 

 

 

いままでは、きっと「個性を殺す」方向で「ひとつ」を実現しようとしていたのだと思います。画一的な型に、ひとりひとりを無理やりにはめこんで、「あるべき姿」を作り出そうとしていたのだと思う。

 

でも、これからは、そもそも「ひとつ」であるものが、それぞれに個性を持って存在していることに意味を見出し、それを存分に発揮させたところに、本物の調和を見出していく……という方向に進んでいくんじゃないかな。

 

だってそれこそが自然だから。無理がないから。

 

 

 

みんなが「その人そのもの」として生きているときに、全体がもっとも光り輝くって、いいですよね。

 

というか、本当はそれこそが「ふつう」なんですよね。

 

「ふつう」が「ふつう」でなくなってしまった、空虚でスッカスカな土台に、いままでの時代は作られていた。

 

倒壊するのは時間の問題だったのです。

 

 

 

いよいよ、「ふつう」に戻っていく時代がやってきました。

 

 

 

まずは、みんなが「ひとつ」を「思い出す」ところからですね。

 

「悟り」とかいうと大げさになるけれど、でも、ほんとうはそれってぜんぜん特別なことじゃなくて。

 

それこそ、ほんとうに「ふつう」のことなんです。

 

みんなほんとうは知っているんです。一時的に忘れてしまっているだけなんです。

 

 

 

忘れてしまっているものを思い出すには、やっぱり、ほんとうの意味で「自分を大切にする」ことしかないのだと思います。

 

自分のこころとからだの声に真剣に耳を傾ける。

 

そしてそれにそった言動をとっていく。

 

一見地味だけれど、それが、結局、一番の近道なのだと思う。

 

 

 

「ひとつ」は、うつくしいです。

 

「ひとつ」は、やわらかいです。

 

「ひとつ」は、あたたかいです。

 

 

 

「ふつう」に戻っていきましょう。

 

「ふつう」の世界を生きていきましょう。

 

みんなで。