「考える教」を脱退したら

2017年4月27日

おはようございます。小出遥子です。

「問題解決のための道筋はただひとつ。
考えて考えて考え抜くことだ。」

みたいなことって割とよく聞かれるのですが、
私の場合、なにか問題が起こったとき、
その解決のために「考える」という手段を使うということが
あんまり……というか、もう、ほとんどありません。

でも、最初から「考える」をしない人間だったわけじゃありません。
正直、ちょっと前まで、めちゃめちゃ「考える人」でした。
「考え過ぎる人」でした。

いま「考える」をしないと、
これから先、もっと恐ろしい問題が起こるに違いない!

そんな思い込みが、
私を「考える」という行為に駆り立てていたのです。

でも、あるとき気づいたんです。

この「考える」という行為こそが、
「問題」の原因になっているんじゃない?

って。

「問題」の「問題」たるゆえんは、
それが自分に苦しみをもたらす、ということにあるんですよね。

でも、苦しみって、実際は自分のあたまの中にしかないんですよ。
つまり、自分の「考える」の中にしかないんですよ。

「考え(過ぎ)る」からこそ、「問題」が生まれる。

ならばいっそ、「考える」の力を最小限に抑えてみたらどうだろう?

そうやって、思い切って力を抜いて、
思考がどれだけ恐ろしいことを言い出しても極力無視して、
ただそこにある「流れ」を見つめて、
必要なときに必要なだけ動くようにしていったら……
アラ不思議。
結果として、ありとあらゆる「問題」が、
するするとほどけていく、ということがわかったんですね。

もちろん、すべての「考える」を放棄してしまったわけではありません。
「流れ」の中で、ごくごく自然に「考える」が起きてきたときは、素直に考えます。
でも、「考える」によって自分が苦しくなってしまうときは、
深呼吸をしたり、からだを動かしたりして、
「考える」を意識的に小休止させることが必要です。
「考える」が静まると、再び目の前の「流れ」が見えてくるので、
あとはただ、それに従って、動いたり、動かなかったりしているうちに、
たいていの問題は解決しているし、
そもそも日常の中で問題自体が起こりづらくなってきます。

これ、ほんとうなんですよ。
にわかには信じられないかもしれないけれど。

「考える教」の信者であることをやめたときから、
生きることは、だいぶ楽になったように思います。

思考によって苦しみを増幅させている方に、
なにかヒントになればいいな、と思って書きました。

よい一日をお過ごしください◎

 

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http://temple-web.net/event/64/