苦しみは敵ではない

2017年4月28日

おはようございます。小出遥子です。

今日も吉本ばななさんの小説の引用から……。
(どんだけ好きなんですかねえ。)

 ソファに戻ってすわると、熱いお茶が出た。

 ほとんど初めての家で、今まであまり会ったことのない人と向かい合っていたら、なんだかすごく天涯孤独な気持ちになった。

 雨に覆われた夜景が闇ににじんでゆく大きなガラス、に映る自分と目が合う。

 世の中に、この私に近い血の者はいないし、どこへ行ってなにをするのも可能だなんてとても豪快だった。

 こんなに世界がぐんと広くて、闇はこんなにも暗くて、その果てしない面白さと淋しさに私は最近初めてこの手でこの目で触れたのだ。今まで、片目をつぶって世の中を見てたんだわ、と私は、思う。

(『キッチン』 吉本ばなな=著 新潮文庫 より抜粋)

苦しみはとても嫌なものだし、できれば避けて通りたいけれど、
それでも、苦しみというものをまっすぐに見つめ切ったその向こうに、
見たこともない「うつくしい」景色が開けていることは多い。
それは、間違いのないことだと、
私は、私のこれまでの人生から言い切れます。

苦しみを見つめる、と言っても、
苦しみの内容そのものを見つめるのではなくて、
(それをやるとドツボにハマることが多いです……)
苦しみの出どころ、つまり、
その苦しみを感じている「自分」の方を見つめる、
ということです。

苦しい。苦しい。苦しい。苦しい……
こんなに大変な苦しみを感じている自分って、
じゃあ、いったいなんなんだ?

と、思い切って「こちら」側に目を向けると……
アラ不思議。

そこに「苦しみ」はあっても、
それを感じている「自分」なんか、
自分のアタマの中以外、
どこにも見つからないんですね。

あれ? おかしいな?
「自分」が見つからないぞ……?
どこをどう探しても見つからないぞ……?
もしかして、「自分」なんか、どこにもいないんじゃ……?

その瞬間。
なにかがはじけて、「世界」の実相、
つまりは「自分」というフィルターを通さない、
生(なま)のリアリティーと一体となった
「ほんとうの自分」を発見するのです。

苦しみは、扉を開いてくれます。
思っているより「嫌なヤツ」でも、ないのかもしれません。

よい一日をお過ごしください◎

5月28日(日)の15時より、名古屋市中川区の真宗大谷派寺院・瑞因寺さんにて、対話の集い・Templeを開催させていただくこととなりました。
名古屋でのTemple開催は初! このありがたいご縁に、こころより感謝しています。
お近くの方も、そうでない方も、この機会に、ぜひTempleをご体験ください。
お目にかかれるのをたのしみにしております!
どうぞよろしくお願いいたします◎

【5/28(日)】Temple@瑞因寺
http://temple-web.net/event/67/