街の報せ

2017年4月30日

おはようございます。小出遥子です。
今日は大好きな曲を紹介します。

晴れた夜 嵐が湊に来るように
みんな寝静まったならドアを開けて出ていくよ 
どこか 今宵

君らも年をとり いつかはいなくなるけど
きっと誰にも知られない愛しい 一人の夜があるよ
例えばさ

ファミレスで聞くロイ・ハーグローヴ
国道沿いで買う缶コーヒー
(たばこは程々に)
携帯の充電はとっくに切れたけど
坂道登り振り返れば
(悪くないんだよ)

Woo, babe, can you hear calling from that city?
遠くでも 近くでも
Woo, everybody’s waiting for the sunset
愛しているよ

みんなも年をとり いつかはいなくなるけど
また誰かがやって来て 音楽をかけてくれそう 
何度も

夏に映画館出た時
終電が終わった駅前
波も涙もあたたかい
忘れていたのはこんなこと?
(街の報せを待ってる)

Woo, babe, can you hear calling from that city?
遠くでも 近くでも
Woo, everybody’s waiting for the sunset
愛しているよ

(cero「街の報せ」 荒内佑=詞 荒内佑=曲)

上記はceroという私と同世代の三人組の男性バンドの
「街の報せ」という曲なのですが、
これ、歌詞もいいし、メロディーもいいし、
さらに映像もものすごく素敵なんですね。
以下のリンクから視聴できます。

この映像。
ぼうっと眺めていると、なんだか泣けてくるんです。

いや、はっきり言って、なにも「絵になる」ものは切り取られていないんです。
それこそ歌詞に出てくるような国道沿いの風景とか
(スシローやマクドナルドやエネオスの看板が……)
深夜のバッティングセンターの駐車場とか、
工事現場の電光掲示板とか、
コンビニの前でたばこを吸う若い女の子二人組とか……。
そういう、ふだん普通に目にしすぎていて気にもとめないようなものたちが、
ただただフラットに、延々と映し出され続けているという……。

このフラットさに、涙が出てくるんです。

これは、たぶん、死者の目線。
この世ならざるものの目線。

そこには当然「個人の感情」「個人の都合」は一切なくて、
ただただ、すべてが、あるべきように動いていて、ただ、生きていて……。

いつか、私が地上を離れるとき、
うつくしいものも、みにくいものも、
好きなものも、嫌いなものも、
善も、悪も、光も、闇も、神も、仏も、人間も……
すべてを、まったく同時に、平等に、
「愛しているよ」と。
そして、「生きてね」と。
かつてないほどやさしい気持ちで、ただ、願うに違いない。
そんな風に思うのです。

そして、生きている間に、この祈りを発することも、
人間には、きっと、可能。

よい一日をお過ごしください◎

5月28日(日)の15時より、名古屋市中川区の真宗大谷派寺院・瑞因寺さんにて、対話の集い・Templeを開催させていただくこととなりました。
名古屋でのTemple開催は初! このありがたいご縁に、こころより感謝しています。
お近くの方も、そうでない方も、この機会に、ぜひTempleをご体験ください。
お目にかかれるのをたのしみにしております!
どうぞよろしくお願いいたします◎

【5/28(日)】Temple@瑞因寺
http://temple-web.net/event/67/