怒りにとらわれたときは。

2015年1月8日

できるかぎり機嫌良く生きていきたいものですが、やっぱり人間、どうしたってマイナスの思いにとらわれてしまうときもあります。

 

そんなときに思い出すのが、以下に引用する神さまの言葉。

 

 

 

そなたはよく腹を立てるが、腹が立つのは慢心からであるぞ。よく心得なされよ。下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよいのであるなれど、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短くして下されよ。怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。

 

(岡本天明著 中矢伸一校訂 ヒカルランド刊 『完訳 日月神示 下巻』「補巻 月光の巻 第五十五帖(八四二)」 より抜粋)

 

 

 

腹が立つのは慢心から。

 

下っ腹からの怒りは表現しても良い。

 

ただしできるだけ小さく、清く、短く。

 

 

 

……ああ、もう、本当に、生きる知恵がここにありますね!

 

でも、これ、なかなか難しいのですけれどね!!!

 

 

 

確かに、自分をかえりみると、怒ってぎゃんぎゃん喚き散らしているときって、ほとんどの場合、誰か(たいてい目の前の相手)に甘えています。

 

それこそ、「下肚」からではなく、胸より上から出るような怒りっていうのは、はっきり言って薄っぺらいんです。薄皮一枚剥いでみると、そこにはかならず「なんでわかってくれないの!」「認めてよ!」「ていうかちゃんと私に構ってよ!」がある。

 

赤ちゃん的なのね。

 

「自分が自分が」の爆発が、怒りとなって現れているだけ。

 

相手のことや、周りのことなんか、ちーーーっとも考えていない。

 

このタイプの怒りは、表に出すと、その瞬間はすっきりするかもしれないけれど、でも、後になって確実に後悔します。自分のことが嫌いになります。

 

 

 

怒りの感情がぐわーっとせり上がってきたとき、それを表現するべきかどうか迷ったら、一呼吸置いて、

 

「この怒りは上から? 下から?」

 

って、自分に問いかけると良いと思います。

 

もしそこに、自分自身の「認めてよ!」「構ってよ!」が少しでも混じっているのなら、それは表現しない方が良い。

 

後悔したくなかったら、抑えた方が良いです。

 

大丈夫です。最初の波さえ乗り切れば、たいていの感情は5分以内に収まります。

 

コツは、「それについて考えるのを止めること」。

 

表面だけの感情なんて、「思考」という名の栄養剤を与えなければ、すぐに枯れてしまうんです。

 

 

 

でも、もし、「いや、これは間違いなく下っ腹からの怒りだ! 自身の慢心を超えたところにある怒りだ!」ということになったら、それは表現しても大丈夫です。

 

それはもはや公共性のある怒りとなっているからです。

 

自分が怒ることによって、この世が明るくなる可能性がある。そんなタイプの怒りだったら、表に出しても良い。というか、積極的に表現するべきなのでしょう。

 

こういったタイプの怒りこそを、「清い怒り」「澄んだ怒り」と呼ぶのでしょう。

 

 

 

ただし、その場合でも、表現するときは、

 

小さく、清く、短く。

 

なんですね……。

 

 

 

必要以上に大声を出さない。周りを巻き込まない。泥合戦に持ち込まない。必要なことを、必要な分量だけ、「ばしっ」と短く表現したら、長居は無用とばかりに颯爽と去っていく……。

 

 

 

これができれば、表現された「怒り」は清潔なものになり、あとには爽やかな風だけが残っているのでしょう。

 

 

 

 

 

……って、まあ、上に書いたようなことを実行に移すのって、実際、ほんと難しいんですけど。

 

でも、心の中にこれらの教えを置いておくと置かないのとでは、また少し違ってくるかな、と。

 

 

 

ねちっとした人間よりは、さらっとした人間でいたいものですね。

 

自戒も込めての今日の記事でした。

 

 

 

 

 

善き日を。