深くなイイ話

2015年1月11日

このブログを始める前は、私は、ここに書いているようなことを、誰にどう伝えていけば良いのか、距離感がぜんぜん掴めておらず、

 

「この人になら、もしかしたら……!」と思ったときには、

 

割となりふり構わず、

 

「私はこう思うんですよね」とか「こう感じるんですよね」とか、

 

鼻息荒く語ってみたりしていたのですが、

 

まあだいたい玉砕していました。(ちーん。)

 

 

 

「え、あなた大丈夫?」みたいな顔をされてしまったり、

 

明らかに興味のなさそうな表情で、「そうなんだ~」とかって、ものすごく適当に相槌を打たれてしまったり……。

 

 

 

まあ、伝え方もまずかったのでしょう。思いばかりが先走って、完全にヤバい感じの人になっていたのでしょう。

 

随分といろんな人を困らせてしまっていたような気がします。

 

大反省です。

 

 

 

でも、その中でも、いまだにちょっと「これはなあ……」と思っていることがあって。

 

たとえば私が「お釈迦さまの言葉にこういうのがあってね~」などと説明を始めると、

 

結構な頻度で、

 

「ふーん。深いね……」

 

みたいな反応を返されることで。

 

 

 

深い?

 

 

 

いや、確かに仏教をはじめとする古くからある知恵(智慧)には、私なんかに到底すべてを理解しきれるはずもないほど深淵なものがあるとは思います。本気で思います。

 

でも、根本的な部分、すべてのはじまりの部分、それでいて一番重要な部分って、たぶん、決して、「深く」なんかない。

 

 

 

だからと言って「浅い」なんてことはもちろんないのですが、なんだろな、でも、みんなが思い込んでいるほど複雑で難しいものじゃ、決してないよ、と。

 

むしろ、ものすご~~~くシンプルなものだと思うんです。

 

 

 

でも、シンプルすぎるものって、かえって理解が難しいんですよね。

 

「ゼロの発見」こそが「人類最大の発見」みたいな風に言われていたり、ね。

 

 

 

究極的な真実って、どこか遠くの、人類未踏の荒涼とした寂しい地に、そうっと横たわっているようなものじゃなくて、実は、いまここに、そのままの姿で、ただ「ある」のだと思います。

 

 

 

でも、あまりにも自然にいまここに「ある」ものだから、みな、わざわざそれに目を向けるようなことをしないで、いままで来てしまった。

 

 

 

なんらかの真実を掴んだ人は、

 

「なんだ、“これ”のことだったのか!」

 

みたいなことを言います。

 

「“これ”は、ずっとずっとずーっと、ここに“あった”じゃないか!」

 

って。

 

そういうものなのだと思う。

 

 

 

ほんとうのことは、決して「深く」ない。

 

 

 

「深い」とか、「難しい」とか、「私には縁がない」とか……

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ!

 

思い込みなんだから!!!

 

 

 

 

 

 

 

このブログでは思う存分こういうことが語れるので、楽です。笑

 

こういう場を持てて本当によかったです。

 

ありがとう。