「仏像」と「仏」

2017年5月5日

おはようございます。小出遥子です。

私が仏教に興味を持つ直接のきっかけは、仏像でした。
そう、私は、以前、バリバリの「仏像女子」だったんです。

でも、あるときに、ふと、
「仏像って、仏の像だよね?」
という当たり前の事実に思い至りまして、
そこから怒涛の勢いで、
「仏って、いったい、なに?」
「仏教って、どんなことを言っているの?」
という探求が始まったのです。

「仏像女子」から「仏教女子」への転換が起こった瞬間でした。
(何歳まで「女子」ということばを使っていいのかという問題はおいといて……)

いまとなっては、以前ほど熱心に仏像を拝むことはなくなりましたが、
(いまは「仏像」を拝むというより、「仏」を拝んでいます)
それでも、やわらかでやさしい表情や佇まいに
どうしようもなく惹かれる気持ちは、消えることなく、ここに、あります。

「ああ、こんな風に穏やかでありたいなあ」とか、
「すべてをただ受けいれているようなこの佇まい、憧れるなあ」とか……。

そう、私は、仏像の「かたち」ではなく、
像というかたちにあらわされた、仏の「あり方」に惹かれているのです。

というか、そもそも、仏というものは特定の「かたち」を持ったものではなく、
「あり方」としてあらわされるもの、としか言えないものなのではないでしょうか。

私たち人間が、いくら仏さまの姿を真似て、
目を半眼にして口もとに微笑みをたたえてみても、
その人がそのまま「仏」である、ということは難しい。
(ある意味では間違いなく仏なのですが……。)

でも、穏やかなこころをもって、
いまここにあるすべてを、ただ、静かに受けいれているような瞬間、
その人の表情や佇まいには、かならず「仏」の姿があらわされる。

「仏」というのは固定化されたなにかではなくて、
瞬間ごとのいのちの躍動の中に、ただ、あらわされるもの。

それを知ってから仏像と向き合うと、また違う感動が味わえるかもしれない。
「感動」こそが「仏」のあらわれ、と言うこともできますしね。

気持ちのいい季節です。
どこかのお寺に出かけて、じっくり仏さまと向き合うのも良いですね。

よい一日をお過ごしください◎

5月28日(日)の15時より、名古屋市中川区の真宗大谷派寺院・瑞因寺さんにて、
対話の集い・Templeを開催させていただくこととなりました。
名古屋でのTemple開催は初! このありがたいご縁に、こころより感謝しています。
お近くの方も、そうでない方も、この機会に、ぜひTempleをご体験ください。
その後、手羽先屋さんで懇親会もあるみたい……?(笑)
懇親会のみのご参加もOKです!
みなさまにお目にかかれるのをたのしみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします◎

【5/28(日)】Temple@瑞因寺
http://temple-web.net/event/67/