“型”ではなく、“たましい”で。

2015年1月19日

昨晩、なにげなく、自室の本棚を眺めていました。

 

私の本棚には、もはや、ほんとうに、自分がこころから「いいなあ」と思える本たちしか並んでいません。

 

数は少ないけれど、すべてが私の宝物だと、自信をもって言える本たちです。

 

 

 

並んでいる本には、ある共通点がありました。

 

それは、

 

「“たましい”が、くっきりしていること」。

 

 

 

「“本”をつくろう」

 

としてつくられたのではなく、

 

「ただそこにある“たましい”に丁寧にかたちを与えていったら、最終的に“本”になってあらわれた」

 

そうやって生まれてきたのであろう、無邪気な雰囲気を持っているのです。私の本棚に並ぶ本たちは、みな。

 

 

 

“型”ありきではなく、“たましい”ありきのものづくり。

 

そこをふるさととして生まれたもの以外には、もはや、私のこころは、ほとんど動かされなくなってしまったな、と思いました。

 

「ただしい」文章や「ただしい」絵や「ただしい」写真が印刷されているわけではない、一見でこぼこだけれど、それでも、ひたすらにうつくしく、清らかな光を放つ大切な本たちを眺めながら、私は、ぼんやりと、でも、強く、そんな風に思いました。

 

 

 

私という人間も、こうありたいな。

 

そんな風に、ぼんやりと、でも、強く、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか頭がぼんやりします。おなかも重苦しい。

 

でもこころはひたすらに静かです。

 

冬の大毒出し祭、絶賛開催中。

 

ひとつ歳を重ねる前に、神殿であるところのからだを徹底的にあたらしくしようとしているのかな。

 

大きな変化のただ中にいる気がします。