72時間の断食中です……。

2015年1月20日

ただいま冬の心身大浄化作戦決行中です。

 

具体的に言えば、72時間の断食中です。もうすぐ折り返し地点。今回の断食は、明日、21日の夜6時に明けます。

 

 

 

72時間の断食はこれで3回目だけど、今回、結構つらいです。

 

なにがつらいって、寒さが。

 

 

 

だって今日「大寒」ですよ!? 一年でもっとも寒さが厳しい頃と言われる大寒……。

 

その日を間に挟んでの3日間の断食……。

 

我ながら、「もうちょっと時期考えようよ」と思います……。

 

 

食べないとね、人間の体温って下がるんですよ……。

 

もうね、寒くて寒くて、カタカタカタカタしてますよ……。

 

 

 

でも、それ以外では結構元気にしています。

 

こころの内側がずっと静かです。瞑想にもすっと入っていける。静けさのプールの中に浮かんでいるみたい。心地良いです。

 

 

 

昨日考えていたのは、「断食」って、名前が良くないよなあ、ってこと。

 

なんか、どうしたって「苦行」的なニュアンスが含まれてしまう。

 

それに、「断食」というと、どうしたって「食べられないこと」にコミットしてしまう。「食べられない(かわいそうな)自分」というものにスポットが当たってしまう。

 

でも、多少食べなくたって人間は生きていけるわけで。

 

現に私、寒さに震えながらも割と元気に生きていますし。

 

 

 

食べものからいただく恵みははかりしれないけれど、でも、それ以外の部分でも、私たちは、すでに、たくさんのものをいただいて生きているのだなあ、と思います。

 

断食中は感覚がふだんより鋭敏になります。

 

冷たい空気の中を歩いているだけで、細胞がよろこんでいるのが分かります。

 

頬に触れる風や、やわらかな陽射しが、ただただありがたいものとして感じられます。

 

「生かされている」ことが、理屈じゃなく感じられます。

 

 

 

でも、上記のようなことって、「食べられない(かわいそうな)自分」に浸り切っていたら、決して気づくことはできなくて。

 

「つらいよう、食べたいよう、うえーん!」

 

じゃなくて、

 

「多少食べなくても生きていける。じゃあなにがいま、私という存在を生かしてくれているのか?」

 

の方にコミットすると、世界は一変します。

 

ふだんは見えない、でもほんとうはいつだってそこにある、ありあまるほどの富、恵み。

 

それらが、一気に、この身にせまってくるのです。

 

それらの放つ圧倒的な「光」の洪水に、一瞬「ぽかーん」として、そのあとは、ただただ、おなかの底から、ひたひた、じわじわ、感謝に満たされます。

 

しあわせの度合いっていうのは、いかに「いま」「ここ」にあるものたちに気づいていられるかで決まるのだな、なんてことを思います。

 

 

 

カタカタ震えながらも、でも、私、しあわせです。

 

強がりなんかじゃないよ!笑

 

 

 

 

 

あと36時間、こころとからだを存分に休ませて、メンテナンスして、この世に生まれてきた役割を果たしていける自分に整えていきたいと思います。

 

がんばりまーーーす☆