「子宮」と「しあわせ」の関係

2015年1月21日

子宮って、実は、ものすご~~~く大事な器官なんじゃないだろうか……なんてことを、さいきん感じています。

 

器官本来の役割としては、子を宿して育ててこの世に送り出す、というのがあるのだろうけれども、

 

それをしなくても、女性にとって、ただ「子宮という器官をもって生きている」ということは、大切すぎるほどに大切なことなんじゃないだろうか……と思うようになったんです。

 

 

 

というのも、私がよく書く、

 

「なにか大きなものとつながっている感覚」

 

っていうのを、あるとき、よくよく探ってみたんですね。

 

「この“感覚”って、いったいどこから来ているんだ?」って。

 

 

 

そうしましたら。

 

その感覚があるときには、

 

「下腹部に、なにかぽかぽかとあたたかいものを感じている」

 

ことが必須だったんですね。

 

で、さらにポイントを探ってみたら、その「ぽかぽか」は、どうも子宮のあたりから発せられているらしい……と。

 

 

 

ああ、そういうことなのか、と。

 

31を目前にして、ようやく気づきました。

 

 

 

「なにがなくてもしあわせ」

 

「わけもわからず上機嫌」

 

そんな時間が、私の人生において、年々増えていっています。

 

ただ歩いているだけでしあわせ。座っていてもしあわせ。なにをしていてもしあわせ。

 

こんな風になれるなんて、ほんの数年前まではまったく考えられませんでした。

 

外側の条件によらない「しあわせ」が、この世に存在するだなんて。

 

生きているだけでしあわせだなんて。

 

 

 

これって、私が無意識のうちに、子宮を大切にする生活をしていたことと決して無関係ではないのでは、と思います。

 

半身浴しかり、少食しかり、早寝早起きしかり。あとお酒を飲まなくなったこともかなり大きいかな。完全に飲まなくなってまだ半年も経ってないけど。

 

まあ、つまり、子宮を冷やさない生活、ということですが、これね、私、ぜんぜんそんな風に思ってやっていたわけじゃないんです。

 

「子宮を大事にしよう」

 

とか、スローガンとして掲げて生活していたわけじゃなかった。

 

というかむしろ、そういうの「うげげ……」と思っていたフシもある。

 

「なんか気持ち悪い……」

 

とすら感じていた記憶もある。

 

自分が「女性」であることを、あまりうまく受け入れられていなかったのかもしれません。

 

だから変な風に「反応」してしまっていたんだろうなあ……。

 

 

 

でも、そんな、あたまで考えることとは裏腹に、私のからだは、無意識のうちに、子宮を大事なものとして扱うような生活を欲していた。

 

で、実際、そういう風に生活は整えられていった。

 

結果として、

 

「子宮のあたりがぽかぽかとしていて心地よい」

 

それをベースにして、

 

「なにがなくてもしあわせ」

 

な自分でいられるようになった。

 

 

 

なんだかほっとしています。

 

これで良かったんじゃん、なんていう風に思えています。

 

ようやく、自分が、「自分」と、一致したような感じがしている。

 

力を抜いて生きていけるって、こんなに楽なんですね。

 

 

 

からだの性質しかり、こころの性質しかり……持って生まれたものを大切にできるような生活が、ほんとうは一番「自然」なんですよね。

 

って当たり前だけど。

 

この「当たり前」すら崩壊していたのがいままでの私だったのですね……。

 

 

 

「自然」には決して逆らえないし、そもそも「逆らおう」と思うことが「不自然」なのだと、いつだって気づける自分でありたいです。

 

 

 

そんなことを思っています。

 

 

 

(もちろん、この世界にはたくさんのケースがあります。だから、決して一概には言えないです。今回のお話は、あくまで「私は」ということです。あたまとこころとからだ、そのどれを大切にするのか、どの声をいちばん大事なものとして聴くのか、そのバランスは千差万別なのだと思います。)

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の東京はものすごくひんやりとしています。

 

できるだけからだをあたためて、機嫌良く生きていきましょう。