一杯の乳粥

2015年1月22日

昨晩、72時間の断食が明けました。

 

ものすご~く「すっきり☆」です。

 

72時間のあいだに、いろんな「毒」をドバドバ出せた感じです。

 

やって良かった!(寒かったけど!)

 

 

 

いつもだったら、断食明け一食目は、塩味のみのお粥にするのですが、

 

今回は甘いミルク粥なんてものを作って食べてみました。

 

ええ、そうです、お釈迦さまにあやかりました……。

 

(お釈迦さまは、修行中に、村娘・スジャータちゃんに差し出された「乳粥」なる食べ物をお召し上がりになったのです。それが断食をおやめになるきっかけとなりました。お釈迦さまはそのお粥で体力を取り戻し、ふたたび瞑想をして、最終的に悟りの境地に入られました。)

 

 

 

お米を水からコトコト煮て、やわらかくなったところに、牛乳とギーを入れて一煮立ちさせ、人肌程度まで冷ましたものに、はちみつと黒胡椒をかけていただきました。

 

おいしかった……。

 

目が覚めるようでした。

 

全身の細胞がよろこんでいました。

 

「お釈迦さま、私いま、あなたの気持ち、めーちゃめちゃよく分かります……!」

 

とかなんとか、ものすごく不遜なことを言いながら、一口ひとくちを大切に大切に味わっていただきました。

 

「ごちそうさま」の意味が、身にしみてわかりました。

 

 

 

「断食明けに牛乳ぅ!?」「動物性たんぱくぅ!?」「ギーって、あんた、油も入れたのぉ!?」

 

「けしからん!!!」

 

そんな声も聞こえてきそうですね。

 

いや、私だってそういうこと、チラッと思いましたよ。

 

「これ、逆に内臓に負担がかかるんじゃ……」「72時間の努力がパーになってしまうんじゃ……」

 

とかね。

 

 

 

確かに、「常識」やら「セオリー」やらで考えると、断食明けのミルク粥は決して適切ではなかった。

 

でも、私は今回、どうしてもミルク粥を食べてみたかったんです。

 

どうしても、お釈迦さまと同じことをしてみたかったんです……!

 

お釈迦さまに憧れる純粋な気持ちを持つキラキラした自分の方が、「常識」やら「セオリー」やらを持ちだそうとするクソ真面目(おっと失礼)な自分よりも、圧倒的に強かった。

 

だからなにも問題はないと思った。

 

 

 

実際、こころの底からの「ごちそうさま」をつぶやいたあと、私、ものすごく満たされていました。

 

からだのどこもつらくなくて、むしろ爽快で、おなかの底からパワーがみなぎってくるのを感じました。

 

純粋に、生きるよろこびでいっぱいになったんです。

 

もう、感謝しかなかった。

 

世界に対する感謝しかなかった。

 

この感謝を味わうために、断食をやったのかもしれないな……って真剣に考えてしまうぐらい、素晴らしい体験でした。

 

 

 

上に書いたような体験は、「常識」にとらわれていたら決して味わうことのできないことでした。

 

自分の中の純粋な気持ちを優先させて、結果、よかったです。

 

 

 

世の中にはたくさんの食療法があります。

 

いろんな本も出回っています。

 

おもしろそうだな、と思うものもたくさんあります。

 

でも、「アレはダメ」「コレはダメ」が全面に出ているようなメソッドって、私はどうしても好きになれないし、生活に取り入れようと、決して思えません。

 

だって、食べるって、もっとフィジカルな行為だと思うから。

 

あたまで食べはじめたら、なにかが終わってしまうような気がするんです。

 

 

 

もちろん、素直に納得できるようなものは、私も取り入れます。

 

だからこそ、少食とか、今回みたいに断食とかをやってみているわけですし。

 

でも、私は決して「あたまで考えて」少食生活や断食生活を送っているわけではないです。

 

そこは自信を持って言えます。

 

ただ、あまり多く食べない方が、自分は心身ともに健やかでいられるな、というのが実感としてわかるから続けているだけです。

 

お酒だってそう。

 

飲まない方が、私の場合、心身ともに「健やか」でいられるんです。

 

ただ、それだけです。

 

 

 

先日、友人に、「遥子っていろんなものを制限して生きているよね……」と言われたのですが、私はその言葉に、ものすごく違和感を覚えてしまったんですね。

 

だって、私はなにも「制限」なんかしていない。

 

むしろ、自分のこころの赴くままに、かなりワガママに生活させてもらっていると思っています。

 

 

 

いや、確かに私はものすごく少食だし、お酒も完全にやめたし、お肉だって自分では選んで食べないし(外出先で供されたらおいしくいただいています)、人からすれば、かなり制限のきつい生活を送っているように見えるのだろうな、とは思います。

 

でも、これってぜんぶ、「そっちの方が、私は健やかでいられるから」というのを基準に選んでいった結果なんです。

 

そこに「我慢」とか「苦行」とかのニュアンスは一切ない。

 

むしろ、いかに自分が心地よくいられるか、自分のこころの赴く方向を素直に追求していった結果、こんな生活が誕生したんです。

 

ものすごく、楽です。

 

 

 

それでいいじゃん。

 

というか、それがいいじゃん。

 

そんな風に思っています。

 

 

 

答えはすべて、「自分」が知っているのだと思います。

 

私たちは、もっと「自分」を優先させて生きて良いのだと思います。

 

 

 

 

 

またひとつ、古い自分を脱ぎ捨てられたような気がしています。

 

いや、どうせすぐに「常識」やら「セオリー」やらを自分の周りにくっつけて歩くようになるんでしょうけれど、

 

でも、そうしたら、また脱ぎ捨てればいいだけだね。

 

 

 

いつだって、生まれたばかりの自分でいたいです。

 

 

 

断食やってよかったです。